杭州、西湖(3)

西湖に不満を持つ芥川を乗せた船は、さらに西湖を進む。

 私が西湖を攻撃している内に、画舫は跨虹橋をくぐりながら、やはり西湖十景の中の、曲院の風荷あたりへさしかかった。この辺は煉瓦建も見えなければ、白壁を囲んだ柳なぞの中に、まだ桃の花も咲き残っている。左に見える趙堤の木蔭に、青々とした苔蒸した玉帯橋が、ぼんやり水に映っているのも、南田の画境に近いかも知れない。

芥川も見た「曲院風荷」はなかなか趣きがある場所。軽く散歩するのにちょうどいい。

跨虹橋は蘇堤にある小さな橋だ。うっかりすると通り過ぎてしまう。

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こちらは玉帯橋。

曲院風荷を散策していたとき、詩碑を見つけた。

ここには白居易の詩「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」の一節が刻まれている。この詩は、左遷させられた白居易の友人「元稹」を想いながら詠んだ詩という。石碑をよく見てみると、詩碑には「藤野厳九郎」と署名されている。この時を書いたのは日本人だったのである。藤野厳九郎は魯迅の有名な作品「藤野先生」に登場する、魯迅の恩師だ。藤野先生は魯迅を思い出しながら、この詩を読んでいる。白居易元稹、そして魯迅と藤野先生の友情がここにはある。

誰も見る人がいない詩碑なので少し残念だ。

杭州、西湖(2)

芥川が宿泊した新新ホテルの目の前にあるのが「弧山」。芥川はここを散策している。

 画舫は錦帯橋をくぐり抜けると、すぐに進路を右に取った。右は即ち弧山である。これも西湖十景の中の、平湖の秋月と称するのは、この辺の景色だと教えられたが。晩春の午前では致し方がない。

たしかに、平湖秋月は実際に行ってみると、それほど良いところではない。西湖全体が見渡せる場所というところ。

其処を一しきり通り過ぎた所に、不思議にも品の好い三層楼があった。水に臨んだ門も好ければ、左右に並んだ石獅も美しい。これは何者の住居かと思ったら、乾隆帝の行宮の址だと云う、評判の高い文瀾閣だった。

孤山には公園があり、そこに入ると、芥川の言う通りに大きな建物があった。壁に囲まれていて、その建物には近づけなかった。それが文瀾閣だった。

芥川も中には入っていない。その後、芥川は「俞楼」へ行った。

 俞楼は俞曲園の別荘である。規模は如何にもこせついているが、満更悪い住居でもない。

俞曲園は清の時代の人。詳しいことは知らないが、芥川も会った章炳麟の先生ということになるのかな。

 その次に蘇小小の墓を見た。蘇小小は銭塘の名妓である。何しろ芸者と云う代わりに、その後は蘇小と称える位だから、墓も古来評判が高い。処が今詣でて見ると、この唐代の美人の墓は、瓦葺きの屋根をかけた、漆喰か何か塗ったらしい、詩的でも何でもない土饅頭だった。殊に墓のあるあたりは、西冷橋の橋普請の為に、荒され放題されていたから、愈索漠を極めている。(略)おまけに西冷橋畔の路には、支那の中学生が二三人、排日の歌か何かうたっている。

蘇小小の墓、ここは何度も通っていたがまったく気がつかなかった。芥川の文章を読んで、はじめてここに墓があるのを知った。橋のすぐわきに、ちょこんとあって、橋の装飾か何かかと思っていた。芥川は「土饅頭」と書いている。さすがに現在は「土饅頭」ではないが、似たようなものだ。芥川はその後、近くにある「秋瑾」の墓を見て、岳飛の廟に向かう。

ところで、芥川はこのあたりからだんだん西湖に不満を持ち始めてくる。中国人の自然観と日本人の自然観の違い、ということも原因の一つなのかもしれないが、一番大きな理由は、西湖が「俗化」していることであった。

湖岸至る所に建てられた、赤と鼠二色の、俗悪恐るべき煉瓦建の為に、垂死の病根を与えられた。いや、独り西湖ばかりじゃない。この二色の煉瓦建は、殆ど大きい南京虫のように、古蹟と云わず名所と云わず江南一帯に蔓った結果、悉風景を破壊している。(略)しかもこう云う西湖の俗化は、益盛になる傾向もないではない。(略)しかし私は領事どころか、浙江の督軍に任命されても、こんな泥池を見ているよりは、日本の東京に住んでいたい。……

杭州の街には、1920年代に建てられた西洋風の建築物がある。歴史的建築物として保存されているのだが、これらの建物を見ると芥川の言うようにたいてい「鼠色」だ。煉瓦はあまり見かけない。芥川が中国に来た1920年代は、都市が西洋化しつつあったのだろう。古い町に容赦なく西洋が入ってくる。伝統と最先端がごちゃごちゃに入り交じった都市。杭州は現在もそんな感じ。

杭州、西湖(1)

1921年3月、芥川は大阪毎日新聞社の海外視察員として中国を訪れた。

芥川は杭州に来ている。

「此処が日本領事館ですよ。」
  村田君の声が聞こえた時、車は急に樹々の中から、なだらかに坂を下り出した。すると、見る見る我々の前へ、薄明るい水面が現れて来た。西湖! 私は実際この瞬間、如何にも西湖らしい心もちになった。茫々と煙った水の上には、雲の裂けた中空から、幅の狭い月光が流れている。その水を斜に横ぎったのは、蘇堤か白堤に違いない。堤の一箇所には三角形に、例の眼鏡橋が盛り上がっている。この美しい銀と黒とは、到底日本では見る事が出来ない。私は車の揺れる上に、思わず体をまっ直にした儘、いつまでも西湖を見入っていた。

 

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芥川が来た当時、杭州に日本領事館があった。今は浙江省の何かの事務所として使われている。

この近くに断橋と白堤がある。

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新新旅館へ辿り着いたのは、その後十分とたたない内だった。此処は新新と号するだけに、兎に角西洋風のホテルである。

芥川が宿泊した「新新旅館」。

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このホテルは、西湖に面した場所にある。西湖は目の前だ。すぐ近くには孤山という小さな島がある。芥川もきっとここから西湖を眺めていた。とはいえ、芥川がこのホテルでとんでもないアメリカ人を見かけて不愉快な気分になっているのであったが。

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宇佐美りん『推し、燃ゆ』

■宇佐美りん『推し、燃ゆ』河出書房新社、2020年9月

この小説について、天皇小説という言い方をしているのを見かけたが、いま一つどういうことなのか分からなかった。なので、『JR上野駅公園口』の原武史の解説は、この小説を理解するのに非常に役立った。

主人公の女の子は発達障害があり、周囲との関係も良くなく、生きづらさを感じている。そんな主人公は「上野真幸」というアイドルを好きになり追いかけ始める。ひたすら「推し」の情報を集め、「推し」を「解釈」するという生活。そんな主人公と「推し」の関係はこう語られている。

 携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。(太字は引用者による)

もう一箇所引用してみる。

 諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつぶした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。推しの魂の躍動が愛おしかった。必死になって追いつこうとして踊っている、あたしの魂が愛おしかった。

こうしてみると、「推し」が光で、主人公はその影であるという関係が見えてくる。推しが輝けば輝くほど、主人公は自分の存在を感じられる。「推し」と一体化を望むわけではなく、「推し」との間に「一定のへだたり」を保つということも興味深い。一定の距離感を保たなければ、「推し」に「あたし」という存在が反映することができない。すなわち自分自身の存在を感じられなくなるのだ。

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ