宇佐美りん『推し、燃ゆ』

■宇佐美りん『推し、燃ゆ』河出書房新社、2020年9月

この小説について、天皇小説という言い方をしているのを見かけたが、いま一つどういうことなのか分からなかった。なので、『JR上野駅公園口』の原武史の解説は、この小説を理解するのに非常に役立った。

主人公の女の子は発達障害があり、周囲との関係も良くなく、生きづらさを感じている。そんな主人公は「上野真幸」というアイドルを好きになり追いかけ始める。ひたすら「推し」の情報を集め、「推し」を「解釈」するという生活。そんな主人公と「推し」の関係はこう語られている。

 携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。(太字は引用者による)

もう一箇所引用してみる。

 諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつぶした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。推しの魂の躍動が愛おしかった。必死になって追いつこうとして踊っている、あたしの魂が愛おしかった。

こうしてみると、「推し」が光で、主人公はその影であるという関係が見えてくる。推しが輝けば輝くほど、主人公は自分の存在を感じられる。「推し」と一体化を望むわけではなく、「推し」との間に「一定のへだたり」を保つということも興味深い。一定の距離感を保たなければ、「推し」に「あたし」という存在が反映することができない。すなわち自分自身の存在を感じられなくなるのだ。

 

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ