千葉雅也『勉強の哲学』

◆千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』文藝春秋、2017年4月
『勉強の哲学』は腑に落ちるところが多い。勉強について考えたことがある人は、「そう、そう」とうなずくことが書いてある。
勉強は確かに際限なく進めることができてしまう。でも、それが勉強の罠であって、勉強をたくさんしているのに、満足いく成果が出ない一つの原因でもあるだろう。そこで、必要なのがいったん止まることだ。しかし、著者も「決断主義」という言葉で注意を促しているが、「もう、いいや」と完全に勉強をストップさせてはいけないのだ。あくまでも中断であって、終わりではない。勉強には終わりはない。動きつつ止まる。止まりつつ動く。イメージ的にはこのようなことであろうか。
アイロニーやユーモアといった言葉で、ものの見方を多様化する。これ自体は、それほど珍しい指摘ではないのだが、本書の優れた点はやはり「有限化」について明確に論じたところだ。アイロニーが完璧を求めてしまうという指摘も非常に有益な論で、これなどは「論文が書けない病」の一つの原因だと思う。勉強熱心で、努力をしているのに目立った成果が出せない人は、「有限化」ができないからなのだろう。
アイロニーとユーモアで動きつつ、あるときに有限化する。勉強とはこれだなと深く同意した。
あと、最後の補論がとてもよい。本書の執筆の舞台裏をくわしく明かしている。
『勉強の哲学』を読んでいると、苅谷剛彦の『知的複眼思考法』を思い出した。両書とも面白い。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために