横光利一『旅愁(下)』

横光利一旅愁(下)』講談社文芸文庫、1998年12月
長く異国で生活していると、次のような「矢代」の言葉はとても印象的に響く。

「君、僕はいま非常に気持ちが良いのだよ。われながら興奮を感じるほど混じりけがないように思うんだが、これがいつまでも続いてくれればね。君はどうだった?」と東野は急に矢代の眼の中を覗き込んで訊ねた。
「僕もそうだったなア。しかし、一度そういうことが有ったと思うことは、なかなかこれが、大切なんだと思ってるんです。今でも僕は国境を入ってきたときの感動を、これは自分の鍵だと思って大切にしていますよ。」
「そうだろうね。もしそれを疑っちゃ、――」東野は暫く黙った。
「しかし、その鍵を疑うものは実に多いね。そ奴を知性だと思わして元も子も無くさせる非文化的な病いが世界中に蔓延しているんだよ。何ものの仕業か知らないが、こ奴にかかっちゃ、今にもう僕らは戦争をさせられるよ。世界中がじくじく腐って来たのだ。」(p.307)

矢代の言う「自分の鍵」がたとえ幻想だったとしても、日本に帰るたびにしみじみと感じるものだ。それをナショナリズムと呼ぶのかもしれないが、人間というのは不思議と、「国境」を入ったときに感動し、かつ安心するものなんだろう。