角田光代『空中庭園』

角田光代空中庭園』文春文庫、2005年7月
「家族」をテーマにした小説。「京橋一家」のグロテスクさを、これまでもかと言わんばかりに描き続けていて、途中で読んでいるのがつらくなるほどだ。京橋家のみならず、「家族」そのものに激しい嫌悪を持っている「北野美奈」は、この家族について、次のように考える。

この部屋の、この感じ、何かに似ていると、はじめてここで、家族そろって食事をしたときからずっと思っていたが、その何かがなんであるのか、コウがリビングルームじゅうに飾った折り紙の飾りでわかった。学芸会だ。ぴょん妻の躁状態のようなあかるさ、砂場の写真をシュールだと言ったコウの、そのせりふと対極にあるような無邪気さ。「おたんじょうびおめでとう」という痛々しいポスター、部屋全体を安っぽいセットに変えてしまうティッシュの花。(p.209)

このような京橋家の生活する家は、ラブホテルの部屋と重ね合わせられている。京橋家は家族に隠し事をしない、どんなことでも家族に話すという決まり事を作っていて、その通りに家族は一見すると、コミュニケーションが取れているようなのだが、実際はまったくと言っていいほど、家族間のコミュニケーションは断絶している。息子のコウが感じているように、家のなかにはもう一つの扉があり、この扉は絶対に開かせない。家族内には「光」と「闇」が厳然と存在している。表面上は、明るい光が、家の内部を全て照らし出しているように見えるが、実際は家族といえどお互いに相手のことを何も知らない。家族という集団は、しょせんラブホテルのような作り物でしかない。
この小説は、6章で構成されている。各章で語り手が変わる。京橋家の家族と、祖母と美奈がそれぞれ語り手になるのである。この手法によって、家族同士がどうしようもなくズレてしまっていることが読者には明らかになる。ある人物が、別の人物からはおかしな人物だと見られ、その人物もまた別の人物から見れば馬鹿な人物だと見られてしまう。小説の書き方として、非常に上手い方法だと思う。この手法によって、人間のいやらしさやあくどい面を、イヤと言うほど見せつけられるのだ。私が読んでいてつらくなってきたのも、この語りの手法による。

空中庭園 (文春文庫)

空中庭園 (文春文庫)