長島要一『森鴎外』

◆長島要一『森鴎外 文化の翻訳者』岩波新書、2005年10月
鴎外の文学を「翻訳」という概念から読み解く。ここでの「翻訳」は、外国文学を日本語に翻訳する作業だけを意味するのではなく、サブタイトルにもあるように、「西洋」の「文化」を日本に「翻訳」するという意味に拡張されている。著者は、鴎外を「近代日本の知性」であり「翻訳者」であった言い、鴎外は「単なる西洋文学の紹介ではなく、文学作品を通じての「文化の翻訳」」(p.6)を行なったのだと主張する。
このように、本書では鴎外の文学活動の根底に「翻訳」という方法を指摘し、それを鴎外の翻訳作品のみならず、鴎外の創作作品も「翻訳」として読む。著者は、こう言う。

鴎外は生涯を通じて翻訳にたずさわっていましたけれども、本来の翻訳作品だけではなく、いわゆる現代小説や歴史小説を書いた時、さらには史伝へと創作を発展させていった時にも、そこにはいつでも原作がありました。それは自らの体験、もしくは歴史的史料や先人の伝記でした。作家鴎外が創作を通して直接、間接に自己を語る時には必ず何らかの原作を必要とし、同時に、原作から巧みに距離をとり、原作を透視していたのでした。(p.7)

鴎外の文学には、常に広い意味での「原作」があり、鴎外はそれを「翻訳」し続けた。それは「距離」をとるためであったというのだ。鴎外は「傍観者」と自分を見なしていたそうだが、常に一定の「距離」を置きながら物事を観察する人であった。著者は、こうした鴎外の立場を「賢明なスタンス」であったとし、「鴎外は近代化の歴史の内部にいて、静かに「ノー」と言い続ける知識人」(p.7)だったと評価する。こんなことが可能になったのも、鴎外が「翻訳者」であったからであると。
鴎外の翻訳作品に分析に留まらず、他の創作活動と「翻訳」を結びつけて論じた点が面白い。特に後期の歴史小説や史伝を「翻訳」として解釈し、その意味を論じているところなどは注目に値するであろう。

森鴎外―文化の翻訳者 (岩波新書 新赤版 (976))

森鴎外―文化の翻訳者 (岩波新書 新赤版 (976))