三並夏『平成マシンガンズ』

三並夏平成マシンガンズ河出書房新社、2005年11月
今年の文藝賞のもう一冊である『平成マシンガンズ』を読む。中学校が舞台になっていて、綿矢りさの小説に出てくる女の子以上に斜に構えた女の子が語り手だ。小説は「喧嘩と仲直りの規則的な羅列が句点も読点もなくノンストップでただつらつらと続いていくような、そういうお付き合いだった」(p.3)という文章で始まる。句点はともかく、読点がかなり少ない文体がこの作者の特徴。まさに語り手が言うように「ノンストップでただつらつらと続いていくような」文体であると言えるかもしれない。このような文体の選択からは、自分自身のことをあるいはこの理不尽な世界のことを一気に語ってしまいたい、そのようなややせっぱ詰まった焦りのようなものが感じられる。のんびりと自分のことを語っている余裕などないのだろう。読点を挿入して言葉を途切れさせたくない、言葉をいつまでも発し続けていたい、その願望だけが彼女をこの世界に結びつけている唯一の方法なのかもしれない。
主人公で語り手の「朋美」は、自分に無関心な父親と暮している。母親は家出をしており、家には父の愛人がやってくる。朋美は学校では「地味」に振る舞い、「いじめ」の対象にならないように仮面を被っていたわけだが、父の愛人のことで友人関係にひびが入り、他の生徒から無視されるようになる。そんなわけで、不登校になり、家の中では嫌いな父の愛人との争いも耐えない。どこにも居場所が無くなった朋美は、最後に頼るべき場所として母親の住んでいるところに行くが、その母親も朋美を受け入れてくれない。不毛な言い争いのなかで、ちょうど母親に離婚届を書いてもらおうとして来ていた父の愛人の弟が、朋美と母親の二人の様子を見かねて、こう言い放つ。

「そんなこと知らないよ俺聞いてないし。あんたたち、幼稚園児並の醜さ」(p.100)

この一言が、朋美に「出刃包丁」のように突き刺さり、朋美は自分自身の「恥ずかし」さを感じる。この言葉によって、それまでの朋美の語る「物語」が一気に相対化されるのだ。このような鋭い一文が書かれているという点だけで、この小説は肯定的に評価できると思う。実は、この場面までは、なんとなく舞城王太郎みたいだなあ、ライトノベルのような雰囲気なのかなと思って、ちょっと退屈していたのだけど、最後にこの一文にであって「ハッ」とした。この後、物語は一気に問題解消してしまい、その展開はまあご愛嬌かなとは思うが、それにしてもこの一文の衝撃は大きかった。このように、自分を見つめる視点を持っているということは、小説家として、ひとつの才能なのではないか。この視点は、これから先もずっと持ち続けて欲しいものである。

平成マシンガンズ

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