青山七恵『窓の灯』

青山七恵『窓の灯』河出書房新社、2005年11月
第42回文藝賞受賞作のひとつ。単行本になるのを待っていた本。もうひとつの受賞作のほうが、著者が中学生ということで注目されていたが、こちらはどうなのだろう。とりあえず選評を見てみると、斎藤美奈子が「女の子のピーピング・トム」を描いた本邦初の小説家もしれないと述べている。たしかに、この小説のオリジナリティは斎藤が述べたことで間違いない。女の子がのぞき見をする物語。本作を一言で言うならこうなるだろう。
要するに、語り手の「私」(「まりも」という名前)は「見る人」なのである。彼女は、ひたすら周囲の人たちを観察している。特に働いているお店(喫茶店か?)の「ミカド姉さん」をまりもは観察するのだ。「私は姉さんの一挙一動を注意深く観察して、よく見定めようとする。すると、姉さんの一つ一つの言葉や立ち居振るまいは、「女の人」の見本として私の頭に日々少しずつ刷り込まれていく。そしてそれは、ほとんどやみくもな羨望と交じり合って、そのまま体の深くに沈んでいくのだった。(p.15-16)」
まりもはだから、姉さんに何人男がいるだとか、どの男とどういう関係にあるのかをすこしずつ理解していくことになる。しかし、それがミカド姉さんがどんな人なのかを知ることにはならない。そもそも、まりもはミカド姉さんの店で半年も一緒に働いているのに、ミカド姉さんの本当の名前さえ知らないし、過去も知らない。もちろん、ミカド姉さんもまりものプライベートのことをほとんど知らないのだろうと思われる。なにしろ、ミカド姉さんは「先生」と呼ぶ男性をずっと慕っているようなのだが、「先生」の年齢も知らないのだ。このように、この小説の人間関係は非常にもろい。希薄というのではないだろうが、それなりの交流を持っていても、お互いにどんな素性の人間なのか知らないし、知ろうともしない人たちなのである。表面的な関係だけの、まったりしている人間関係を描いているという点が特徴なのだと思う。
「見る人」であるまりもは、物語の最後で、このような状態に不安を抱く。見ることで自分は何を理解してきたのか。自分が本当に見たかったのは何だったのか。まりもは、それをこう語る。

 結局私が見たかったのは、淡々とした人々の日常ではなく、無表情の下にある矛盾や、欲望や、悲しみでゆがんだ、ぐちゃぐちゃの醜い顔だったのかもしれない。(p.119)

ふと向かいのアパートの部屋を見ると、そこに住む男の子がミカド姉さんの部屋を覗き見している。しかも「滑稽なほど熱心に。」(p.120)そして、まりもは思う、「私もこんなふうに誰かを見ていたのだろうか。/そしてこうやって、誰かに見られていたことがあったのだろうか」(p.120)と――。
特にこれといったドラマも起きず、小説のテーマもさほど斬新というものではなかったが、まったりとした時間、人間関係を丁寧に描いていて、かなり好感の持てる作品だった。

窓の灯

窓の灯