観察の観察

◆N・ルーマン『近代の観察』法政大学出版局
170ページほどの本なので、すぐに読み終わると思ったけど、なかなか難しかった。読み終えても、内容をきちんと掴んだのかと言うと、それもあまり自信がない*1

観察者とは、観察者として観察される者のことである――これが《セカンド・オーダー・サイバネティクス》が与えてくれる回答である。(p.165)

これに似たような事が、何度も言及されているので、おそらくこれがこの本の中心的な主題なのだろうと、予想。観察者を観察する、ということを繰り返し説明しているのだろう。

社会的な諸現象の世界を、それに参与するファースト・オーダーの観察者のパースペクティヴにおいてではなく、その種の観察者を観察する者のパースペクティヴににおいて分析すること。この発想はマルクス以来、常に社会学的な反省の一部であり続けてきた。(p.112)

で、一つ面白いなと思ったことがある。「学システムが、セカンド・オーダーの観察へ転換した」というのが、「真理の布告に関するあらゆる権威を解体」して、それを「出版メディア」に替えたことであり、出版を用いる以上は、「これこれの認識が獲得された」という主張は、つねに「観察」されることになる。つまり、「その観察がいかになされたかが観察されうるのである」ということだそうだ。
ということで、「研究者は、研究を実行する際にはファースト・オーダーの観察者に留まる。」ようするに、自身に示されるものを直接見る。が、しかし研究者は、出版メディアのなかでは、「研究の現状を考慮しているということを示さねばならない。」つまり、

他者が何を観察しているかを観察しなければならないのである(p.84)

ということになって、研究者自身何を観察してきたのか他人が容易に観察しうるように、自己を描出しなければならない、ということだそうだ。
なるほど、これが研究のシステムなのか…と、このあたりはちょっと納得。

*1:とは言え、ルーマンはめちゃくちゃ面白い。ルーマンの著作をはじめて読んでみたが、読みだすと気になる箇所がたくさん出てくる。ルーマンを研究する人の気持ちがすごく理解できる。ところで、ルーマンの著作を読んでもルーマンの思想が理解できないからといって、ルーマンの研究者に八つ当たりするのは筋違いなんだろうなあ。