8月に読んだ本

福岡伸一生物と無生物のあいだ講談社現代新書、2007年5月
定延利之『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』ちくま新書、2008年7月

 たとえば談話語用論の考えによれば、文法はまさに会話から生まれ出るものである。話の中でくり返し現れる単語列が、やがてパターン(文型)という文法的な存在へと昇華する。私たちがしゃべるたびに、つなげてしゃべられた単語どうしがパターンに一歩近づく。つまり少しだけ文法化する。もっとはっきり言ってしまえば、現代日本語文法などという安定した「文法」、確固とした「文法規則」はフィクションでしかない。現実に私たちの目の前にあるのはただ、絶え間ない無数のおしゃべり、つまり「文法化」だけだ、ということになる。
 大変おもしろい考えである。その上での話だが、もしも「文法」(が仮にあるとして)の正体が、会話の中で現れる単語列の頻度にすぎない、とまで考えてしまうとしたら、私はなにか腑に落ちないというか、さびしい思いがする。(p.192)

村上春樹『やがて哀しき外国語』講談社文庫、1997年2月
村上春樹国境の南、太陽の西講談社文庫、1995年10月
筒井康隆時をかける少女』角川文庫、2006年5月
齋藤孝『人を10分ひきつける話す力』大和書房、2008年4月
◆佐々木瑞枝『外国語としての日本語――その教え方・学び方』講談社現代新書、1994年4月
→日本語の教え方について、ちょっと参考になる。良書。
◆佐々木瑞枝『女の日本語 男の日本語』筑摩書房、1999年6月
→退屈な本。男/女という対立を立てている点で、すでにダメダメ。
石原千秋『大学生の論文執筆法』ちくま新書、2006年6月
小谷野敦『新編 軟弱者の言い分』ちくま文庫、2006年11月
関川夏央二葉亭四迷の明治四十一年』文春文庫、2003年7月
◆柏木隆雄『人とともに 本とともに』朝日出版社、2008年3月
◆川口隆行『原爆文学という問題領域』創言社、2008年4月
→文学から漫画まで、「原爆」がいかに表象されてきたのか。問題意識も分析もすぐれていて興味深い研究なのだが、読了後、うーんと考え込んでしまう。この手の研究書を読むといつも感じるのだが、後出しじゃんけんなら誰でもじゃんけんに勝てるのだということだ。そうした批判はもちろん必要なのだが、それでいいのかという疑問も残る。表象分析の難しいところ。
内田樹『街場の中国論』ミシマ社、2007年6月
→良くも悪くもない。
◆宇佐美寛『作文の論理―<わかる文章>の仕組み―』東信社、1998年11月
→徹底的に無駄を排除した文章を目指す。論理的な文章を書くための本。無駄のない文章が書きたい人には良い。
◆江藤茂博『『時をかける少女』たち 小説から映像への変奏』彩流社、2001年1月

永井均『子どものための哲学対話』

永井均『子どものための哲学対話』講談社、1997年7月
語り口は子ども向けではあるが、内容は大人が読んでも十分面白い。「学校」的な道徳では決して語られないような重要なことが述べられている。
「友だちは必要か?」について、こう述べている。

人間は自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友だちなんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?(p.63)

まったくその通りである。現代社会はコミュニケーション志向が強く、他人と繋がることに価値があるような風潮があるが、人と繋がらなくても人間は生きていけるのだ。コミュニケーションの安易な礼賛は毒になる。こういうことは、子どものころからしっかり学んでおくべきだと思う。

子どものための哲学対話

子どものための哲学対話

村上春樹『アフターダーク』

村上春樹アフターダーク講談社文庫、2006年9月
面白い小説。
都会のある一夜が舞台。ファミレスで一人で本を読んでいる女と彼女に話しかける男。ラブホテルでのちょっとした事件。怪しい組織。深夜に一人残業する男。そして、これらの登場人物たちを見つめ続ける「純粋な視点」。この視点が語り手であるが、主人公とも言える。このカメラのような視点をどのような読むか。批評の鍵となるところだろう。監視カメラ的だとか、ドキュメンタリー的だとか考えられる。どうしてこのような視点を登場させたのかと合わせて、面白いテーマだ。それから、中国人も出てくるので、村上春樹における「中国」の意味も気になるところ。

アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

村上春樹中国行きのスロウ・ボート』中公文庫、1997年4月

どの作品も味わい深いが、「午後の最後の芝生」「土の中の彼女の小さな犬」の二つが特に印象に残った。どの作品もアメリカの小説を翻訳したような雰囲気がある。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

三浦佑之『日本古代文学入門』

◆三浦佑之『日本古代文学入門』幻冬舎、2006年9月
面白い本。エロ・グロ・ナンセンスなテーマや歴史的事件、異界のテーマの物語が多数紹介される。紹介されている物語がどれも面白い。物語なので、実際に起きた事件や出来事が語られているとは一概には言えないが、昔から異様な人物や事件があったのだ。
天皇制の問題、物語と歴史の関係、物語がどのように生まれ、どのようにして伝わっていくのか。現代に繋がる興味深い問題を論じている。

日本古代文学入門

日本古代文学入門

村上春樹『レキシントンの幽霊』

村上春樹レキシントンの幽霊』文春文庫、1999年10月
短篇集。

最近、暇になると村上春樹の小説を読んでしまう。手もとにこれぐらいしか小説がないのが原因なのだが。村上春樹の小説は、文体に慣れてしまえば、かなりのスピードでどんどん読めてしまう。あまり深く考え込まずに読めるので気分がいい。特に短編が良い。村上春樹は、短編のほうが面白いのではないかと思うようになってきた。(長篇作品も、たしかに面白いが)
この本は「恐怖」がテーマになっている。「恐怖」とは何か。それにどう向き合うか。「沈黙」は以前にも読んだことがある作品だが、そこでは他者の言葉を無批判に受け入れてしまう大衆への批判と恐怖が語られる。そして「七番目の男」では、恐怖についてこう語られる。

「私は考えるのですが、この私たちの人生で真実怖いのは、恐怖そのものではありません」、男は少しあとでそう言った。「恐怖はたしかにそこにあります。……それは様々なかたちをとって現れ、ときとして私たちの存在を圧倒します。しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。私の場合には、――それは波でした」(p.177)

「氷男」と「トニー滝谷」では、人間を取り囲み、そこから決して逃れることができない「過去」がもう一つのモチーフとなっているが、恐怖とどう向き合うかということが語られていると思う。

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

アニー・ベイビー『さよなら、ビビアン』

◆アニー・ベイビー『さよなら、ビビアン』小学館、2007年7月
上海あたり都会を舞台にした刹那的な男女の関係が描かれる。都会の孤独や絶望的な愛は、読んでいて暗い気分になっていく。自分の中にある中国(人)のイメージとかなりズレる。そのズレが面白いといえば面白い。

さよなら、ビビアン

さよなら、ビビアン