吉村公三郎『貴族の階段』

◆『貴族の階段』監督:吉村公三郎/1959年/大映/116分/カラー/シネスコ
原作は武田泰淳二・二六事件を背景にしている映画なので、見ておきたい作品の一つだった。文学や映画などで、二・二六事件がどのように表象されるのか。これも興味深いテーマではないだろうか。
物語は、「西の丸」家という貴族の家が中心となる。父(森雅之)の周囲がにわかに騒がしくなる。娘の氷見子は、陸軍大臣の娘節子を「お姉様」と慕っている。というのも、氷見子の兄義人と節子は愛し合っているからだ。しかし、義人は父の言動をあまり良いものとは受けとっておらず、そのためにか父のような政治に向わず軍に入隊している。
この父は女性に手をすぐ出す人間で、当然ながら女中も手を付けているのだが、ある晩酔った節子を誘い出し処女を奪ってしまう。汚れてしまったと思い悩む節子。
一方、義人の周囲も青年将校たちの動きが激しくなる。とうとう義人は、二・二六事件に参加することを決意する。決行の晩、おそらく父の様子をたしかめに来た義人は、妹氷見子によって、睡眠薬を飲まされ眠ってしまい襲撃に遅れてしまう。そのために、義人は自決。また己を恥じていた節子も自殺する。事件の後、父は首相に担ぎ出される。
タイトルに「階段」とあるように、西の丸家には大きな階段があるのだが、どうもこれがあまり効果的に使われていない。冒頭で、陸軍大臣滝沢修)が階段を転び落ちる場面があり、ここは興味深い場面ではあったが、この転び落ち方がのっぺりとしてイマイチだった。階段を何かの象徴として使おうとしたのかもしれないが、そうなっていないのが残念だ。階段を撮るのは難しいことなのだと、しみじみと思う。