ヴィットリオ・デ・シーカ『ひまわり』

◆『ひまわり』監督:ヴィットリオ・デ・シーカ/1970年/イタリア/107分
監督は、イタリア映画の巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ、主演はソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニ。タイトルの「ひまわり」がすごく気になる。かつて、梶井基次郎は「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と書き記したが、この映画では「ひまわりの下には屍体が埋まっている!」ということになる。このようにして、「戦争」が人の運命を決定的に変えてしまったことを表象する。
面白かったのは、ソフィア・ローレンが洗濯物を取り込んでいる場面。ここに夫アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)の母親が訪ねてくるのだが、母の姿を見たソフィア・ローレンは、持っていた洗濯物を何のためらいもなく地面に投げつけるように落とす。そして、母親を家に招き入れるのだが、部屋は掃除中だったのか、テーブルの上に椅子が置かれ、ちりとりと箒がテーブルに立てかけてあった。その箒とちりとりを取るやいなや、またしても何のためらいもなく、窓から放り投げてしまう。この豪快さにあっけにとられてしまう。
かたや、ロシア戦線で死の淵にあったアントニオを助け、そのまま彼と結婚して生活を続けているマーシャはどうだろう。ソフィア・ローレンがロシアでようやくアントニオを捜し出し、マーシャの家を訪ねた場面だ。そのとき、マーシャは洗濯物を取り込んでいた。そして、訪ねてきたソフィア・ローレンを家に招き入れる。この時、マーシャは持っていた洗濯物を落としてしまうが、すぐに拾う。このように洗濯物を落とすという動作を通じて、二人の女性の性格を描き分けているのだろう。
それにしても、アントニオと再会したとき、ソフィア・ローレンはアントニオに妻がいることを知って激しく動揺し、すぐさま列車に乗ってイタリアに帰ってしまう。この時、あきらかにソフィア・ローレンは荷物を持っていない。マーシャの家か駅に置いてきてしまったはずなのだ。この一連の行為も、先の洗濯物の場面と通じている。この姿を見て、お金は大丈夫なのだろうか、切符はどうしたのだろうかと、気になって仕方がなかった。どうやらソフィア・ローレンは無事にイタリアに帰れたのだが、はたしたロシア旅行中に持っていた荷物はどこにいってしまったのか。置いて行ってしまった荷物を見て、マーシャは何を思うのか。
思うに、「置いていく」という動作(身振り)はこの映画の中心的な主題なのだ。アントニオは妻を置いて戦場へ行ってしまう。そのアントニオは、戦場で仲間に置いて行かれてしまうことで危うく命を落とすところであった。置いて行かれてしまったものは、二度と元に返ることはない。戦争は、爆弾を置いていき、街を破壊するだろう。その破壊は、人と人の関係にまで及んでいる。戦争が人々に置いていったものの影響は、あまりに大きい。

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