山田昌弘『パラサイト社会のゆくえ』

山田昌弘『パラサイト社会のゆくえ――データで読み解く日本の家族』ちくま新書、2004年10月
著者は、あの『パラサイト・シングルの時代』を書いた人だ。親に寄生しながらリッチな生活をおくる未婚者を、「パラサイト・シングル」と呼び、その実態を分析したのは新鮮だった。
パラサイト・シングル時代』が出たのは1999年で、著者が「パラサイト・シングル論」を世に問うたのは1997年だったという。それから、もう数年が過ぎた。「パラサイト・シングル」という言葉が流行ったのは、つい最近のことだと思っていたが、けっこう時間が過ぎていることを知って、私は少し驚いた。
著者は、そろそろ『パラサイト・シングル時代』の知見も「賞味期限」が切れる時期に来ているのかもしれない(p.9)ということで、あらたな調査をもとに、『パラサイト・シングル時代』のロジックを検討したのが本書の『パラサイト社会の行方』である。
本書が注目する時期は、1998年である。これを著者は「1998年問題」とし、この時代を境にして「パラサイト・シングル」に変化が生じたことを論じている。1998年が節目となって、家族、労働、教育といった様々なデータに変化が起きていると指摘し、その結果現在までも続いているような不安感が日本社会を覆うようになっている。この時期に日本社会に大きな変化があったのだと考えられるだろう。
1998年は、参議院選挙で自民党が振るわず、橋本龍太郎から小渕恵三へ代わった年であった。98年は、経済的には「九八年大不況」と言われる年でもあり、金融機関の倒産が相次ぎ、不良債権が明るみになり、リストラという言葉が人員整理の言葉として使われるようになった時代だという。
ただし、本書は経済の不況が原因となり社会不安が増大したという論へは進まない。この年をきっかけにして、「若者や青少年の社会意識に「構造的変化」が生じた」(p.30)ということを論じていく。そして、著者は「1998年に起きた不況は、単なる経済後退ではなく、「労働」のあり方が変化する「節目」の現象とみることができるのではないか」とし、グローバル化やIT化、ニューエコノミーの浸透によって「雇用が不安定化した結果の現象」だと考える。そういうわけで、著者が言う「1998年問題」とは、「将来の生活の不確実さに直面し、その不確実さに耐えられない人々が起こす問題だ」ということになるのだ(p.32)。
たしかに、98年に何らかの変化が起ったのだろうなあと思う。将来の不確実さの直面、という問題は、「郵便的不安」を想起させる。東浩紀の『存在論的、郵便的』が出たのも1998年なのだ。なるほど、98年という年にこの批評が登場するのは、ある意味必然だったのだろうなあということを考えてしまう。

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)