結婚する娘とその父親

◆『彼岸花』監督:小津安二郎/1958年/松竹大船/カラー/118分
シネ・ヌーヴォで7週間にわたって、現存する37作品の小津映画が上映されてきたのだが、それも今日でおしまい。終ってしまって、なんだかとても淋しい。もっと見続けていたい、と思う。37作品、全部見たかった。お金があれば…。
とりあえずきょうが最終日なので、一つでも多く見ておこうと、『彼岸花』を見に行く。この作品は、小津の初カラー作品だという。それを意識してなのか、冒頭のスタッフ、配役紹介がなかなか凝っている。
これは、小津映画ではおなじみの画面なのだけど、その文字が、白と黒とそして小津が好きだったという赤で書かれているのだ。こんなところにも、自分の好きな色を忍びこませていて、こういう遊び心が、小津の魅力でもある。小津の画面は、どれも見逃せないのだ。
物語は、戦後の小津映画らしく、結婚を意識する年頃になった娘とその父親の心境を描く。
たしか、この映画の冒頭は東京駅で、駅員の二人が「きょうは大安なのか」と会話をしていて、新婚カップルが旅行に出掛ける場面だ。ここですでに、結婚というモチーフが提示され、それが列車と関連していることが、示されている。
というのは、この映画のラストシーンは、最後まで結婚を反対していた父親が、結婚して広島に引っ越した娘夫婦のところに、列車で向かう場面で終っている。面白いのは、列車はたいてい「別れ」と結びつくのであるが、ここでは「会うこと」へ導いている。それは、やはり、結婚につきものの、例の儀式が行われなかったからだ。つまり、小津映画では、結婚式の日に娘が父親に向かって挨拶をする儀式が必要なはず。しかし、この映画では、父親が頑固に娘の結婚を反対して、はじめは結婚式にも出ない、と言っていた。
だが、結局結婚式には出席したらしいのだけど、肝心の「儀式」の場面がそっくり無くなっている。娘が二階の自分の部屋で、婚礼衣装に着替えをする場面すらない。結婚式前日の様子が描かれるだけで、結婚式当日の場面は一切画面が省かれている。おそらく、広島の娘の所へ向かった父親は、あらためて「儀式」をするのだろうなあと。そしてそれが、娘との和解でもあり、同時に別れでもあるはずだ。
父親は、結婚式の後日、中学のクラス会に参加し、その帰りに京都により、そこで旅館の母子に説得されて、広島に向かう。こうした迂回するような「移動」が、父が娘の結婚を受け入れるプロセスとなっている。「移動」が、父の頑なな心を変化させているのだ。小津は、列車を本当に物語に利用する人だと思う。
秋刀魚の味』で、結婚式の後、父が一人台所でお茶を飲む場面も忘れがたい場面であったが、この映画のこれから結婚した娘に会いに行くところの父の姿もまた忘れがたい。