テリー・ジョージ『ホテル・ルワンダ』

◆『ホテル・ルワンダ』監督:テリー・ジョージ/2004年/イギリス・イタリア・南アフリカ/122分
ミニシアター系の映画としては、大ヒットしているという。梅田のガーデンシネマで見たが、たしかにここも満員だった。そもそもネットでこの映画の公開を求めて盛り上がっていたので、見に来るのは若い人が多いのかなと予想していたが、その予想はまったくちがっていた。たまたまなのかもしれないが、きょうの観客の9割はご年配の方々であった。
公開を求めて署名運動まで行われたというので、どんな映画なのか興味があったが、実際に見てみると、普通の映画だったのでちょっと肩すかしをくらった印象を受けた。というか、映画の内容云々よりも映画自体の出来からして、それほどヒットするようなものではなかっただろうなあと思う。はじめは公開を見送っていたという配給会社の判断は正しかったと思う。
映画外部の運動が、この映画をヒットに導いた。このこと自体は、非常に興味深く、またこの映画の主題とも結びつけることができるかもしれない。
映画の冒頭に、ラジオから流れる声があったことを思い出すべきであろう。ラジオの音声から物語が始まるという語りの手法自体はよくあるものだが、この映画ではラジオの音声が、主題の一つとなっている。物語中で、何度もラジオから流れる扇動的なメッセージは、主人公たちに不快感や不安感を与え、一方で未曾有な大虐殺を引き起こしたとも言えるだろう。外部から届く音声が、人々を大虐殺へと突き動かす。つまり、メディアの果たした役割を考えさせる映画なのである。
もちろん、メディアは大虐殺を引き起こすだけではない。大虐殺から人々を救う(かもしれない)のも、またメディアだったのだ。虐殺の場面が放映されれば、世界中の人々は救出に動いてくれるかもしれないと、主人公が希望を抱いていたことを思い出そう。メディアは、他の国の人々と繋がる手段であり、唯一の頼みの綱だったのである。
このように見てくると、ネットというメディアを通じてこの映画が話題になり多くの観客を引き寄せたことは、この映画の主題とも相通じるところがあるのではないかと思う。インターネットというメディアによって人々が映画館へと足を運び、そして映画というメディアを通じて、人々がルワンダと繋がる。こう考えると、この映画の公開を求めて署名運動が起こり、そして公開されたという一連の出来事は、重要で価値のあることだったのではないかと思う。
映画の内容面から興味深い場面があった。それは、主人公が食料を買いに出かけた帰りに、川沿いを走れと言われ、朝方その道を車で走っていると、突然ガタガタと車が激しく揺れ出すという場面である。霧が晴れて視界が良くなったとき、主人公は驚愕する。なぜなら辺り一面、虐殺された死体だらけだったからだ。つまり、道が悪くて車が揺れたのではなかったのである。その後、主人公は激しく嘔吐する。
この場面を見て思い出すのは『TAKESHIS'』である。『TAKESHIS'』では、たけしがタクシーを運転しているときに、死体が道路に散乱している場面があった。道路に無数の死体があるという点で、どちらも主題は同じであるが、一方が妄想の世界の表象であったのに対し、ルワンダではそれが現実の表象となってしまうのである。妄想と現実という相反する世界が、同じ表象で現れてしまう。あらためて、映画という表象装置の不思議さを考えさせられるのである。