黒土三男『蝉しぐれ』

◆『蝉しぐれ』監督:黒土三男/2005年/日本/131分
原作は藤沢周平。以前、この小説を読んでいたので、映画もすごく気になっていた。映画は原作をやや省略しているが、内容はあまり変えていなかったのではと思う。
この映画の予告を見たときからすごく気になっていたのが、父親の亡骸を運ぶシーンだ。実際、本編を見ても、このシーンが一番良かった。
文四郎の父親は、藩内の勢力争いに巻きこまれて、処罰されてしまう。自決させられた父親の亡骸を引き取り、息子文四郎は家路につく。途中、山道を上らないと家にたどり着けないのだが、文四郎ひとりでは急な坂になっている山道を上れない。文四郎が先に進めず難渋しているところに、駆けつけるお福。こうしてお福の助けもあって、ようやく山道を上ることができた――。夏の強い日射しを周囲の木々によって和らげられた夏の日光を浴びながら、二人は無念の死を遂げた父を運ぶ。この無念さを浄化するような美しい自然。そして、同時にこの困難な作業は、文四郎とお福の関係の未来をも示しているのではないか。坂を上る、という運動がここでは非常に重要なのだ。
この映画は、メロドラマなのだと思う。それは、たとえばラストシーンで、駕篭に乗ったお福とそれを見送る文四郎の別れの場面を見れば理解できる。これは、メロドラマ映画に付きものの、駅での別れの変相だからだ。また、物語的にも、文四郎の家とお福の家の事情と、さらにお福と文四郎の身分の違いによって、二人が結ばれることができなかったということを踏まえれば、この映画がメロドラマの基本通りであることは明らかだろう。とするならば、先の坂道を上る場面も、メロドラマがしばしば登場させる階段の変相であると言えるのではないか。
ほかにも、この映画には興味深いシーンがある。欅御殿での殺陣の場面は、やはり黒澤明あたりを踏まえているのだろうか。この斬り合いのシーンは、あまり良い出来とは思わないが、派手に血しぶきが飛ぶところなどは、たとえば『椿三十郎』に近い。
また、最後の文四郎とお福の対面場面は良かった。ここは、切り返しショットがすばらしい。文四郎とお福の切り返しで、二人の対話が進む。ここで注意したいのは、はじめ文四郎のショットで、文四郎の顔が画面の右端に寄せられ、画面の大半は障子で占めているということだ。つまり、お福のショットに比べ、文四郎のショットは文四郎が狭い枠のなかにはまっている印象を受ける。お福の姿が、画面の中央でしっかりと収まっているのに対し、対応する文四郎のショットはややバランスを欠いている。だが、対話の終りに文四郎が、それまで「お福さま」と呼んでいたのを、子どものころのように「福」と呼ぶとき、文四郎のショットから枠が無くなる。これによって、文四郎のショットとお福のショットが対等の関係になるのだ。このショットの変化は、文四郎の心の動きを見事に表現していると思う。切り返しショットは、メロドラマに必須の手法である。この場面を見て、この映画は良質なメロドラマだったなと思った。