三島由紀夫『文章読本』

三島由紀夫文章読本』中公文庫、1973年8月
これは文章を書くための本ではなく、文章をいかに味わうのかをレクチャーした本だと思う。というのも、三島は冒頭でチボーデを参照して、読者を「普通読者」と「精読者」に分ける。「精読者」とは、「趣味人の最高に位し、「いわば小説の生活者」と言われるべきものであった、ほんとうに小説の世界を実在するものとして生きていくほど、小説を深く味わう読者のこと」だと述べ、この『文章読本』を通じて、この本の読者を「精読者」に導きたいと書き記している。(p.10)
三島は、情報化の社会のなかで「文章」を味わう習慣が少なくなっているという。そして、「昔の人は小説を味わうと言えば、まず文章を味わったのであります」(p.43)と注意を促す。これなどは、大岡昇平がかつて「美文」というジャンルがあったと漱石論のなかで主張していたことを思い出させる。物語だけ楽しむのではなく、文章そのものを楽しむこと。三島の評論は、たしかにその傾向があった。三島は、文章を味わうために、ゆっくりと文学作品のなかを歩いて欲しいとも言う。そうすれば、これらが「言葉の織物」(p.44)であることがはっきりと露呈する。昔の人は、この「織模様」を楽しんだのだと。そして、「小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職人的喜びといたしました」(p.44)と三島は書いている。ここで、「言葉の織物」と意味は異なるけれど、ロラン・バルトと似たような言葉を使っていることに興味が引かれる。

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)