原一男『ゆきゆきて、神軍』

◆『ゆきゆきて、神軍』監督:原一男/1987年/122分
久しぶりに見た。かなりの人数が入っており、あらためて『ゆきゆきて、神軍』の人気の高さを知る。この映画の上映の後、原一男監督のトークショーが行われる。そこで、監督は、奥崎謙三との交流を語った。
時に暴力を使ってまでも、日本軍の犯罪の暴こうとする奥崎を、カメラは冷静に追いかけている。当時の仲間や、上官に暴力を使ってまでも、証言をさせるという奥崎の方法が良いのかどうかは、賛否が分かれるのだろうが、これも一つの方法なのだろう。ともかく、映画は、戦争の時に行われた犯罪を暴いたり、上官の責任を問うことが目的ではなく、あくまでもそれらを戦争の責任追及を、天皇の責任追及を、独自の方法で行う奥崎謙三を撮ることが目的なのだ。結果として、当時の「犯罪」が明るみに出たりしたけれど。映画には、撮影の対象との批評的な距離が必要なのだろう。
原監督は、撮影時に奥崎から、冗談なのか本気なのか分からないけれど、奥崎を「先生と呼ばない」と何度も言われたそうだ。実際、奥崎のことをたとえば警察は「先生」と呼んでいたという。もちろん、警察は尊敬の意味で、そう呼んでいたわけではないが、奥崎自身は警察の「先生」という呼び方を本気にしていた。つまり、警察も自分の行為を認めているのだと。だから、監督が奥崎を「先生」と呼ばないことが気に掛かっていたらしい。
しかしながら、そういうことを分かっていても、監督は「先生」と呼べなかったという。「先生」と呼んだら負けだと。つまり、「先生」と呼んでしまっては上下関係が出来てしまい、対等な関係ではなくなってしまうからだ。この話に、原監督の批評的距離、批評的な態度を私は感じた。
あと、映画で印象的なのは、奥崎の妻の存在ではないだろうか。この奥さんは、よく奥崎について行ったなといつも思う。じっと坐って、奥崎の傍にいる奥さんの姿は、いったい奥崎をどう思っているのか気になってしまう。この奥さんは、映画の撮影の後に亡くなったことが、字幕で説明されている。監督の話によると、晩年の奥崎は、この奥さんの骨壺を自分の家に、自分の傍に置いていたそうである。その周りには、二人で旅行に行ったときの写真がたくさん貼られていたと、監督は話されていた。奥崎は、この世でたった一人、奥さんだけを頼りにしていたらしい…。