エミール・クストリッツァ『ライフ・イズ・ミラクル』
◆『ライフ・イズ・ミラクル』監督:エミール・クストリッツァ/2004年/フランス、セルビア=モンテネグロ/154分
すごいハイテンション。クストリッツァの映画は荒唐無稽な想像力に驚かされる。ベッドが空を飛ぶ夢想シーンなど、たとえば安部公房に『カンガルー・ノート』という作品があるが、それに似た想像力だなと思う。面白い映画だった。
いくつか印象に残った場面、映像を挙げてみる。一つは、落ちる「水」の映像。落ちる水に打たれる男女は、決まって愛し合う関係になる。一人は、ルカの妻で、彼女はパーティで知り合った男と、ダンスをしていて、上から落ちてくる水道の水でびしょぬれになる。その後、妻はこの男と家を出て行ってしまうのだ。一方、ルカも捕虜としたサバーハと結ばれたとき、滝で水に打たれながら愛し合うだろう。落ちてくる水が男と女を結び合わせ、その豊富な水の量が愛の豊饒さになる。エロスの水と言えるだろう。ここでは、そういう水のイメージが使われている。
また、この映画で重要なイメージは回転運動だと思う。何度か回転運動する映像が出てきている。たとえば、一つはサッカーボールが坂を落ちていく。ボールだから当然回転しながら転がっていくだろう。ほかにもある。市長が暗殺される場面だ。ここで市長が銃で撃たれ、彼は倒れて、山を転がりながら落ちていくだろう。ルカとサバーハが、ルカの生家で互いに愛していることを了解したとき、二人は抱き合いながら地面に倒れ、回転しながら、山を転がっていくだろう。このように、この映画には回転運動のイメージが付きまとうのだ。そもそも、ルカは鉄道の技師なので、鉄道には車輪がつきものだ。車輪もまた回転するイメージに連なると言える。
ここでの回転運動は、死と生(性)の両義性があることが分かる。したがって、ルカが絶望したとき、鉄道自殺しようとすることは、車輪=回転運動の主題に忠実なことが理解できると思う。この車輪=回転運動を止める存在が、失恋して鉄道自殺しようとするロバだ。ロバは自殺するために、線路に立ちふさがる。ロバが本当に自殺するつもりなのか、もちろん分からないが、とにかくロバが線路に頑固に立ちふさがるために、列車はその運動を止めざるを得ない。そして、ミラクルは、この運動の停止と大きな関わりがあるのだ。
こうして見てくると、回転運動は、死と生がクルクルと回転しているイメージを表現しているのではないかと思われる。死は回転して生へと入れかわる。人生のミラクルとは、そういう生と死のサイクル運動に亀裂を入れる(=ロバ)のことなのだ。