川端康成『女であること』

川端康成『女であること』新潮文庫、1961年4月
文庫本で600ページ弱ある長編小説。物語の中心となる人物は、市子、さかえ、妙子という3人の女性である。市子は、有能な弁護士である佐山の妻。妙子の父親は、麻薬に溺れ、男女関係のもつれから殺人事件を起こして公判中。この事件を担当しているのが佐山で、身寄りのない妙子を佐山は自分の家に引き取っている。さかえの母と市子は、同じ学校の友人。物語は、さかえが母親との関係がうまくいかず、突発的に大阪を飛び出し、東京の市子(さかえの憧れの女性)のもとにやってくることから始まる。
物語の舞台は、市子の家がある東京は多摩川だが、この小説は都市小説の面を持っていることに注意しよう。川端は、戦前に『浅草紅団』(ISBN:406196397X)という浅草を舞台にした都市小説を書いている。『女であること』では、多摩川から銀座、そして小菅刑務所を人物が移動しており、東京の広範囲を舞台していることが特徴だろう。都市の横断は、東京内に限らない。さらに、拡大して見てみると、この小説は東京、大阪、京都の3つの都市を繋ぐ小説でもあるのだ。物語の中心となる女性が3人で、登場する都市が3つというのは、はたして偶然なのだろうか。
『浅草紅団』との関連で、もう一つ注目したいのは、さかえという女性だ。さかえの人物造型は、なんとなく『浅草紅団』の弓子を連想させる。それにしても、根っからの大阪人であるさかえが、なぜか「東京駅」に愛着を抱いているところなどは興味深い。――うろ覚えなのだが、たしか『浅草紅団』の弓子は「浅草十二階」にこだわりをもっていたのではないか。――さかえは言う、「東京駅はすみのすみまで、くわしなりましてん。人間のうず巻の中心にいるみたいでした。」(p.74)この言葉は、『浅草紅団』の舞台であった、かつての「浅草」に通じるところがある。
さらに、さかえは大阪を飛び出して東京に着いたとき、すぐに市子の家に向かわず、東京駅のホテルに身を隠していたが、その間、東京遊覧バスにとって東京を見物もしている。後に、佐山や市子たちと再びこの遊覧バスを乗ることになるが、このバスによる東京遊覧は、「江戸」を辿るものであったことも『浅草紅団』との関連で注目できよう。

女であること (新潮文庫)

女であること (新潮文庫)