テイラー・ハックフォード『Ray』

◆『Ray』監督:テイラー・ハックフォード/2004年/アメリカ/152分
音楽を自分でやるのは苦手なのだけど、音楽を扱った映画やミュージカル映画が特に好きだ。こういう映画を見たり聴いたりするのは楽しい。
というわけで、レイ・チャールズを主人公にしたこの映画も予告を見て以来楽しみにしていたのだ。期待通り面白い映画だった。
しかし、こういういわゆる「業界」が登場する映画っていうのは、人間関係がドロドロして気味が悪い。物語で描かれる「業界」の姿が、実際の業界とどういう関係なのかは全然知らないけれど、たいていこういう物語に出て来る「業界」の人間は「狡猾」で、純粋な魂を持っているアーティストを食いものにするというパターンがある。あるいは、情よりもビジネスが優先という人間も出てくる。何でだろう?
この映画を見ていて気になったのは、階段だ。レイがどんどん人気が出てきてお金を稼ぐようになると、当然ながら家を購入するわけだが、これが毎回似たような家の造りなのだ。というのは、玄関を開けるとすぐそこに階段がある家。アメリカの大邸宅は、たいていそういう玄関の構造なのかもしれないけど、それはともかく玄関を開けると階段があるというのがどうしても映像的に気になってしまう。
家が大きくなればもちろん階段の作りも立派になっていく。いわば、階段の造りが出世のバロメーターというわけか。そもそも、幼少時代のレイは貧しい家だった。その家の入口には階段が実はある。レイが失明した時、母親はレイに盲人とはいえ人に頼って生きていけない、自分の足で立って生きていくことを教え、そこで階段のところに立たせて、「階段は何段ある?」と聞きレイが「四段」と答えるシーンがあるのだ。そして、これからは何でも学習して記憶を頼りに生きていかねばならないのよと母親は教える。この映画が、階段の映画であるとするならば、この場面は印象的だ。
とは言いつつも、それほど階段が効果的に扱われていない。唯一、階段のドラマらしきものがあるとすれば、新婚の時に妻ビーにヘロインを隠しもっていたことがばれて問いつめられるシーンだ。レイにとって階段は一種の試練なのだろう。
この映画の主題はもちろん「音楽」であり「音」だ。「音」こそレイにとって世界と自分を媒介するものとなる。「音」によって世界に触れるレイの姿は、けっこう感動的だった。こういうシーンは見ていて損はしない。