サファー・ファティー『デリダ、異境から』

◆『デリダ、異境から』(D’ailleurs, Derrida)監督:サファー・ファティー/1999年/68分
デリダを追いかけたドキュメンタリーとでも言えばよいのか、ジャンルに括るのは難しい映画。ともかく動くデリダが見てみたいという好奇心から甲南大学で行われた上映会・トークに行ってみた。
デリダが映画の冒頭で、エクリチュールは選択なのだということを語っていたのが印象的だった。映画も同じだと。映画もモンタージュをするだろうとデリダは語る。
そのことと関連してか、映画の上映後に行われた監督のサファー・ファティーを囲んでのトークでは、何が映像に取り込めなかったのか、監督がカットした映像についてかなり熱心に語っていた。カットした映像については、もっとたくさん語り続けることができると述べていたほどだ。
デリダがこの映画のなかで何度も語っていたのは、「痕跡」についてだった。エクリチュールも「痕跡」なのだろうけど、我々の身体には「痕跡」が生れたときからあること、あらゆる傷が存在していることを何度も語っている。こういう姿を見ると、デリダはやはり「痕跡」の哲学者なのだなということがよく分かる。
映画は、デリダの自宅やら講義の風景、旅先の様子などで構成されている。デリダの講義が、かなりの人気ぶりだった。教室が学生が溢れていて、床に大勢の学生が座って聴いているのだ。「今期のゼミナールは、パルドンです」とかデリダが言うわけで、あのデリダが講義している!とミーハーなので、それだけでも感激してしまう。
もう一つミーハーの心を捉えたのは、デリダの自宅だ。当然だが、本で溢れかえっている。床にたくさんの本が散らばっていたり、学生のレポートやら博論やらたくさんあって、デリダが「何でも捨てられないのだ」と言うのがおかしかった。そういう人だったのかと。まさに文字通りアーカイブの哲学者なのだ(と強引に結びつけてみる)。ミーハーには、とても面白い映画だった。