表紙に惹かれる

松浦理英子ほか『たけくらべ 現代語訳・樋口一葉河出文庫、2004年12月ISBN:4309407315
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫、2005年3月ISBN:4101167311
島本理生ナラタージュ角川書店、2005年2月ISBN:404873590X
『感性の変革』を読んで、一葉を読み直さないといけないと思った。そこで思いだしたのが、この現代語訳の本だった。いまでは、たしかに一葉の作品は現代語訳をしないと読みにくいかもしれない。ともかく、現代の作家が、一葉の文章をどう現代語訳にするのか、そこから一葉のあるいは各作家の特質なるものが発見できるのか。
この本では、「たけくらべ」を松浦理英子が、「やみ夜」を藤沢周、「十三夜」を篠原一、「うもれ木」を井辻朱美、そして「わかれ道」を阿部和重が訳している。私の場合、とくに阿部和重の訳が気になる。阿部は訳者後書きで、こう記している。

ともあれ、樋口一葉『わかれ道』の「現代語訳」という作業を進めてゆくなかで生じた一つの大きな疑問が、いまも頭から離れない。それは、この物語はいったい誰が語っているのか?という謎である。(p.288)

この疑問は、注目してよいと思う。語り手の問題は、それこそ『感性の変革』でくわしく論じられている。また阿部和重自身の作品でも、語り手の分析が必要なのだ。阿部和重という作家は、現代の作家のなかでも、特に語りの方法に意識的な作家だろう。したがって、阿部が、こうして一葉作品の語り手に注目しているというのは興味深い。
ナラタージュ
ナラタージュ』の表紙が好きだ。この表紙を見て、この本はぜったいに買うと決めた。
伊丹十三のエッセイ。比較文学者としては、外国の滞在記、旅行記にどうしても注目してしまう。外国で何を見て、何を得てきたのか。そうした分析をすることが多いからだ。そして、異文化体験を論じることになる。ところで、本書はなんでも文章のスタイルが重要らしい。「エッセイ」というジャンルに何か影響を与えたらしいのだ。これは、表現論的に注目してよい作品なのではないか。