ルキノ・ヴィスコンティ『山猫』
◆『山猫』監督:ルキノ・ヴィスコンティ/1963年/イタリア・フランス/161分
壮大なコスプレ映画。久しぶりに長時間の映画を堪能したなあという感じ。すべて本物なんじゃないの!というぐらい、豪華なシーンの連続。ヴィスコンティしか、作れない世界だなあと溜息…。
ラストの舞踏会。ここが当然物語のクライマックスとなっていて、それは見事な場面なのだ。「ああ、これが本物の貴族の舞踏会なんだ」と、ちょっと勉強になるかも。歴史を扱ったヨーロッパの映画には、しばしばこうした貴族のパーティーの場面が登場するけれど、『山猫』はそれらと全然格がちがう。そんな映画のためにあつらえたような安っぽい衣装とか建物とかじゃないんだろうなと。モノ自体の迫力あるいは魅力に酔ってしまうわけだ。
というわけで、この映画ではなにもかもが豪華なのだが、それらがひどい砂埃で汚れてしまうのが、誰もが気になって仕方がないのではないかと思う。この主人公のサリーナ公爵(バート・ランカスター)の一家が移動するが、目的地に到着して馬車から降りると砂埃で顔やら衣装やらが真っ白になっている。そのままの姿で、教会に行って、礼拝をしているのだけど、家族みんな真っ白な顔をしていて、いたずらされた人々みたいで、ここだけ見たら滑稽だ。砂埃ともう一つ気になるのが暑さ。みんな暑さのために汗をかいている。
私の印象なのだが、バート・ランカスターが物語の進行に伴って徐々に顔を白くなっていったような気がする。特に舞踏会の場面が始まると、だんだんと顔から血の気がなくなり、白くなっていくような印象を受ける。心なしか髪や髭が前半に比べて、白っぽくなっていたような気がするのは、私の思いこみかもしれないが。だけど、アラン・ドロンあたりが生命力を増していく一方で、没落貴族のバート・ランカスターが白くなり、まさに「死」へとむかっていく姿が非常に対照的に描かれている。
舞踏会が終わり、バート・ランカスターは一人徒歩で帰宅する。カメラは裏通りを肩を落として歩く、寂しそうなバートランカスターの後ろ姿を捉えている。ここで注目したいのは、夜更けで誰もいない通りに、野良猫が一匹映っていること。これは、見逃してはいけないのではないか。『山猫』というタイトルが示すように、このサリーナ侯爵家のシンボルが「山猫」。その「山猫」が没落する物語なのだから、ここに野良猫が映っているのは偶然ではあるまい。そもそも、思い出してみれば、映画の冒頭には大きな犬がいたではないか。その犬は、革命に参戦しようとサリーナ侯爵に挨拶にきた甥(アラン・ドロン)によく懐いていたではないか。なにしろアラン・ドロンの腕にかみついてじゃれているぐらいだから。つまり、この映画は「犬」と「猫」の物語なのだ。