成瀬巳喜男『山の音』

◆『山の音』監督:成瀬巳喜男/1954年/東宝/94分
原作は川端康成の小説。原作だといかにも川端らしく、妙なエロティシズムが漂う気持が悪いというか気味悪い小説なのだけど、映画では川端のエロティシズムは感じられなかった。原節子を崇拝する者としては、川端のようなオヤジの「いやらしさ」に汚されたくないという思いは強い。戦後の川端の文学は単なる「変態オヤジ」文学でしかないと私は思っているので*1
さて、率直に言って、この映画はよく分からない。見終わった時、なんだか不思議な気持になる。すごく寒々とした終わり方をしていた。義父と息子の嫁が公園で話し合うというのがラストシーンなのだけど、この公園に人が妙に少ないのだ。しかも、だんだんと公園から人が排除されていくような感じ。そしてかなり広い公園で、義父と娘だけが残っているという画面。しかも冬。ああ、やっぱり寒々しい。なんだこれは?
そもそも、息子夫婦の問題(夫の浮気)で、どうして義父が悩まなくてはいけないのか。そして、どうして義母はおしゃべりなだけで、全くなんの役にも立たないのか?さらに言うと、原節子以外はみんなおしゃべりだ。よく話す。うるさいぐらい話す。しかし、原節子だけはあまりしゃべらない。しゃべらない代わりによく働く。そして泣く。おまけに鼻血まで出す。鼻血を出す原節子なんて小津映画では考えられない。ここに成瀬と小津の違いを見る。「鼻血を出す身体」と「鼻血を出さない身体」という差異を見た。これはある意味女性の身体をどう表象するのか、という二人の映画監督のセクシュアリティの問題に繋がるだろう。
それから、もうはっきりと言ってしまうが、原節子は日本映画史においてもっとも「お父さま」というセリフがふさわしい女優である。これは間違いない。原節子は絶対「お父さま」と言わなければいけない。「お父さん」とか「おとっちゃん」なんて絶対に言わない。言うわけがない。映画監督が、原節子に言わせたいのは「お父さま」の一言なのである。この言葉を言わせるために、みんな映画を作っていたのではないか。

成瀬巳喜男 THE MASTERWORKS 2 [DVD]

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*1:それが面白いといえば面白いのだが