対話理論がニガテな理由

バフチンの『ドストエフスキー詩学』は、私のなかでは1、2を争う名著で、読むたびに知的を興奮を味わう。常にリスペクトしている本で、バフチンの理論を使って論文を書きたい!と思っているのだけど、たぶん私には無理っぽい。
バフチンといえば、カーニバル理論とか対話の理論とか言われるのだけど、とくに後者の「対話」の理論が私には絶対無理。自分自身のことを、よくよく考えてみると、人と「対話」するのがめちゃめちゃ苦手だった。「対話」って難しい。なんか、いつも「対話」にならないんだな、これが。一方的に話してしまうか、すぐに途切れてしまうか。だいたい、私は他人の話を聞くのが苦手なのだ。こんな「対話」が苦手の人間が、バフチンの「対話」理論なんて使えるのだろうか?
「対話」理論なんて考えるバフチンは、日常生活でもきっと「対話」が上手な人だったのだろうなあと思う。そうじゃなきゃ、『ドストエフスキー詩学』なんて名著は書けまい。私なんて、他者を受け付けない、モノローグの人間だから、別の方法じゃないと無理だ。