ひょっとしてリバイバルするのかも

◆伊良子清白『孔雀船』岩波文庫
日本文学盛衰史』に「若い詩人たちの肖像・続」という章がある。ここに登場する詩人の一人が、伊良子清白である。
処女詩集であるこの『孔雀船』の出版が決まり、詩集の装画の依頼のために、画家長原止水を訪ねた場面だ。なぜかここで、保険の勧誘を始める清白に止水は呆れてこう言い放つ。

「きみ、いったいなにをしているのだ」
「はあ、ですから、保険商品のご説明を」
「いったい、きみは詩人なのか!」
一喝するように止水はいった。
「きみのいうことを聞いていると、とても詩人とは思えぬ。詩人とはなんだ。世界の秘密を言の葉によって探らんとする選良ではないのか。この世のものならぬ妙音と聞き分け、深遠なる真理に一身を捧げる身ではないのか。恥をしりたまえ、恥を。きみは詩人ではなく、詩人のふりをしているだけではないのか。きみのようなエセ詩人の詩集の装画をわたしにやれというのか」(p.71)

この「エセ詩人」という言葉にショックを受けた清白は、詩への関心が薄れ、この自分の詩集の出版も遠い出来事のように感じ、島根へ行ってしまう。その後は詩から遠ざかるように、医師として生き、文学史から忘れ去られていく。
しかし、昭和四年、日夏耿之介がこの詩集を再評価する。そして、再発刊されたこの詩集が再び脚光を浴びることになった。そして、清白は「最初の現代詩人」とみなされるようになったという。
というわけで、私も最近、この伊良子清白の存在を知った。こんな詩人がいたのかと、名前を覚えた。そうしたら、平出隆が『伊良子清白』という本を去年出しているではないか。ひょっとして、ふたたび再評価され始めたのか?それならば、一度読んでみる必要があるだろう。はたしてどんな詩を書いていたのか。