悪循環の構造

文章を書くのがつらいことだと思う時がある。何かについて文章を書く。すると、それがもうすでに誰かによってかかれていたことだったり、すでに平凡な意見だったりする。ああ、もっと知識を増やさないといけなあと思って勉強する。勉強すればするほど、自分の意見が平凡であることが分かる。なら、もっと知識をふやすぞ、と勉強するが、そのことによってかえって自分の首を絞めていくことになる。要は、悪循環に入ってしまうのだ。知識を増やそうとすればするほど、自分の知識の無さを思いしるわけで、自分の考えが他の人の考えによって身動き取れない状態にされてしまう。こうなると、怖くて何も書けなくなる。かえって、何も知らないほうが文章は書けるのではないか。それこそ、この悪循環のループから抜け出るには、立岩氏のように、まず書いてしまう、そしてあとから、それはもう言われていることだと指摘されるほうが逆に賢明なのかもしれない。慎重になればなるほど、書くことがなくなってしまう。