参りました…お手上げ

◆『イノセンス』2003年/東宝/100分 監督:押井守
結局、何が何だか理解できなかった。難解。むずかしい。物語の筋自体はシンプルで、この点において理解できないということはないのだけど、いかんせん登場人物たちの会話にはついていけない。さすが記憶を外部装置と接続できる人(というかロボット)たちだ。
ちょうど『隠喩としての建築』を読み終えた直後に映画を見たので、もしかするとこれも自己言及性についての物語なのではないか、と邪推する。つまり、人間の「外部」としてのロボット(コンピューター)。人とロボットの差異が強調されるのはそのためかと思う。
でも、どうしてこの手の映画の舞台は、アジア、「香港」っぽい都市が選ばれるのだろう。テクノロジーは未来なので、都市はアナクロ。その落差の意味って何だろう?アジアの都市の持つ猥雑さと近未来テクノロジーがなぜ接続されるのか?毎回不思議に思うのだけど、いまいち納得できる答えが見つからない。
話は脱線するけれど、私の中の未来都市のイメージは実は「ドラえもん」の世界だなと思う。ちょうど『イノセンス』の上映前の予告で「ドラえもん」をやっていたので思い出した。都市は清潔で、環境も抜群に良くて、便利で、テクノロジーと人が共存共栄している都市が「ドラえもん」に出てくる未来都市ではなかったか?
一方で、環境破壊が進行し、犯罪が横行し、異常の高いビルが乱立し、けばけばしい電飾が溢れ、道路はゴミだらけ。そして人口が妙に多いゴミゴミとした都市というのがしばしば映画の中に登場する。どうも私のイメージする未来都市と異なっているようだ。このあたり、これから気をつけて映画を見ていこうと思う。