かつて普遍的な「知」があり得なくなって、個別的な事象へ関心が集まるようになった。もちろん、普遍性への疑いを持ちながらも、個別性へ埋没する「知」のあり方にある種の苛立ちというか困惑も一方では存在する。「知」がたんにある特定の個別的な事象にだけしか通用しない、一度使ってしまったらもう終り、といった感じが最近の「知」のあり方ではないか。要するに、流行のサイクルが早くて追っかけても、すぐにそれが時代遅れの古くさいものになってしまう。それだけ「知」の射程が短くなっていると言えないだろうか。
誤解ないように付け加えれば、なんでも説明することができる万能な「知」をもう一度甦らせようというのではない。それはそれで時代遅れでもあるだろう。
個別的な事象を対象にする「知」が、その「個」の中だけで終ってしまうのではなくて、もうすこし他の「知」との繋がりを持たせることができないのか。「知」と「知」が結び付き合って、壮大な体系を目指す必要はないけれど、「個」に埋没しないゆるやかな繋がりをもった「知」のあり方を目指すのはだめなのだろうか。