石黒圭『文章は接続詞で決まる』

◆石黒圭『文章は接続詞で決まる』光文社新書、2008年9月
接続詞をうまく使うと、文章は読みやすくなる。しかし、これが難しい。どこで、どんな接続詞を使えば良い文章になるか。そもそも、接続詞を使うべきか使わないべきか。文章を書くときには、いつも悩む。
本書ではそもそも、接続詞とは何かという問題から始まり、各接続詞の用法が解説されている。面白いのは、日本語には文末にも接続詞があるという点だ。「のだ」「のではない」「と思われる」などが解説されていた。
索引も付いているので、接続詞の辞書のように使えるかもしれない。

文章は接続詞で決まる (光文社新書)

文章は接続詞で決まる (光文社新書)

白井恭弘『外国語学習の科学――第二言語習得論とは何か』

◆白井恭弘『外国語学習の科学――第二言語習得論とは何か』岩波新書、2008年9月
外国語を身につけるのは難しい。何か良い方法がないものか。そんなことをいつも考えているのだが、なかなか良い学習法が見つからない。
外国語を学ぶのも難しいが、また教えるのも難しい。学生に苦労を掛けずに外国語を身につけさせることができたら、どんなに良いことか…。
本書は、第二言語習得論の入門書として書かれている。言語学や教育学の専門知識がそれほどなくても、読み進めることができる。また、教科書的にも書かれているので、第二言語習得論では、現在、どのような研究や議論がなされているのかも把握できて、非常に役に立つ。
これを読んだからと言って、すごい学習法がわかるわけではないが、外国語の学習者にとっても、語学教師にとっても、第二言語習得論の研究成果を知ることは大切なのだ。

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

大塚英志『初心者のための「文学」』

大塚英志『初心者のための「文学」』角川文庫、2008年7月

 ぼくが先に中上ら八〇年代文学は「ガンダム」のようだ、と記したのは「ガンダム」もまた八〇年代に「サーガ」化したからです。
 中上の熊野という現実の土地の上に築きあげた「神話的世界」とは、「僕」が「想像力」で描いてきた主観的な「地図」と本質的には同じだとぼくには思えます。「子供」の時間が終わり、「現実」が世界に侵入することに耐えかねた「子供」は「嘘」とわかっていても「地図」を作らずにはおれず、その「地図」はだからこそ「現実」が侵入しないようにひたすら拡大し、しかも緻密に作られる必要があるわけです。それをアニメの世界でやれば「ガンダム」、文学でやれば中上健次村上春樹村上龍ということになります。(p.255)

かつて批評家たちは、このような中上文学を「真の文学」と称し、中上の死とともに「近代文学は終わった」と言った。それに対し、大塚は「そこで持ち上げられる「文学」は、とうとう「主観による地図」しか描けなかったし、むしろ徹底的に空想の中にとどまろうとした「文学」のように思え」(p.255)ると批判する。
最終章の「補講」では、村上春樹の『海辺のカフカ』を取り上げる。ここでは、大塚は村上春樹を評価している。『海辺のカフカ』は、「物語作者が人を殺す表現を敢えて書き続けることの意味を作者自身が考え抜いた小説」(p.318)であるからだ。象徴と具体がセットである「世界」。大塚が追い求めているものは、これである。

 そこで人は現実には人を殺さず、しかし時には象徴的に殺し、そして生々しい返り血を浴び、成長していきます。物語が作中で人を殺し続けることは象徴的にそれが行われ続ける必要があり、そして、人はあくまでも象徴的に人を殺すのだ、ということの意味を考えるためにそれらの物語はあります。だから、村上春樹もぼくやぼくと同じように人殺しの原因と名指しされた作者たちもまた人殺しの物語を書き続けていかなくてはならないのです。世界が「現実」であり同時に「象徴」であり続けるために、です。(p.318)

正直、本書はあまり面白い内容ではない。「戦時下」だの「国家」だの、いちいち大げさに論じるのがつまらない。政治的に文学を読んでいっても、気分が暗くなるだけだと思う。

初心者のための「文学」 (角川文庫)

初心者のための「文学」 (角川文庫)

東浩紀+大塚英志『リアルのゆくえ――おたく/オタクはどう生きるか』

東浩紀大塚英志『リアルのゆくえ――おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書、2008年8月
両者の言い分はなんとなくわかるけれど、なんだかなあという感じ。無駄に対立しているような気がしてならない。対立のための対立というか。そういう批評なんだと反論されればそれまでだが。しかし、ちょっとひどい。

水月昭道『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』

◆『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』光文社新書、2007年10月
まあまあ面白い内容だけど、買って読むほどでもなかったなあ。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

蓮實重彦『「赤」の誘惑――フィクション論序説』

蓮實重彦『「赤」の誘惑――フィクション論序説』新潮社、2007年3月
難しすぎて、ほとんど理解できず。

「赤」の誘惑―フィクション論序説

「赤」の誘惑―フィクション論序説

荒木浩『日本文学 二重の顔 〈成る〉ことの詩学へ』

荒木浩『日本文学 二重の顔 〈成る〉ことの詩学へ』大阪大学出版会、2007年4月

 エンデが言うように、すぐれた著作がなされるためには、〈外部〉の本質的な「内面」化が必要だ。たとえていえばそれは、ペルソナと顔が融合して、新しい顔、新しいわたしが誕生するようなものだろうか。外部の外面は、もともとのあなたの顔かも知れない。直面ということばもある。あるいは外に被った仮面が、内側の顔と付着してしまうようなものかも知れない。いずれにせよ、〈外部〉は〈心〉と溶け合って〈内面化〉されないと、本当の〈わたし〉には成らない。だから「現実」をそのまま写そうとしても、ろくなものは書けないのだ。(p.272-273)

似たようなことを、茂木健一郎が「クローズアップ現代」で言っていた。茂木の場合は、もちろん「脳」を通過させることで、文章が書けるということだったが。物を書くことにおける、〈外部〉と〈内部〉のインタラクションに興味が出る。

日本文学 二重の顔 (阪大リーブル)

日本文学 二重の顔 (阪大リーブル)