村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

村上春樹中国行きのスロウ・ボート』中公文庫、1997年4月

どの作品も味わい深いが、「午後の最後の芝生」「土の中の彼女の小さな犬」の二つが特に印象に残った。どの作品もアメリカの小説を翻訳したような雰囲気がある。

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

三浦佑之『日本古代文学入門』

◆三浦佑之『日本古代文学入門』幻冬舎、2006年9月
面白い本。エロ・グロ・ナンセンスなテーマや歴史的事件、異界のテーマの物語が多数紹介される。紹介されている物語がどれも面白い。物語なので、実際に起きた事件や出来事が語られているとは一概には言えないが、昔から異様な人物や事件があったのだ。
天皇制の問題、物語と歴史の関係、物語がどのように生まれ、どのようにして伝わっていくのか。現代に繋がる興味深い問題を論じている。

日本古代文学入門

日本古代文学入門

村上春樹『レキシントンの幽霊』

村上春樹レキシントンの幽霊』文春文庫、1999年10月
短篇集。

最近、暇になると村上春樹の小説を読んでしまう。手もとにこれぐらいしか小説がないのが原因なのだが。村上春樹の小説は、文体に慣れてしまえば、かなりのスピードでどんどん読めてしまう。あまり深く考え込まずに読めるので気分がいい。特に短編が良い。村上春樹は、短編のほうが面白いのではないかと思うようになってきた。(長篇作品も、たしかに面白いが)
この本は「恐怖」がテーマになっている。「恐怖」とは何か。それにどう向き合うか。「沈黙」は以前にも読んだことがある作品だが、そこでは他者の言葉を無批判に受け入れてしまう大衆への批判と恐怖が語られる。そして「七番目の男」では、恐怖についてこう語られる。

「私は考えるのですが、この私たちの人生で真実怖いのは、恐怖そのものではありません」、男は少しあとでそう言った。「恐怖はたしかにそこにあります。……それは様々なかたちをとって現れ、ときとして私たちの存在を圧倒します。しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。私の場合には、――それは波でした」(p.177)

「氷男」と「トニー滝谷」では、人間を取り囲み、そこから決して逃れることができない「過去」がもう一つのモチーフとなっているが、恐怖とどう向き合うかということが語られていると思う。

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

レキシントンの幽霊 (文春文庫)

アニー・ベイビー『さよなら、ビビアン』

◆アニー・ベイビー『さよなら、ビビアン』小学館、2007年7月
上海あたり都会を舞台にした刹那的な男女の関係が描かれる。都会の孤独や絶望的な愛は、読んでいて暗い気分になっていく。自分の中にある中国(人)のイメージとかなりズレる。そのズレが面白いといえば面白い。

さよなら、ビビアン

さよなら、ビビアン

真銅正宏『小説の方法 ポストモダン文学講義』

◆真銅正宏『小説の方法 ポストモダン文学講義』萌書房、2007年4月
文学理論の入門書。ある程度文学理論に馴染んでいないと、少々むずかしいかもしれないが、面白い内容になっている。様々な理論の紹介だけでなく、理論を基にしながら、「小説とは何か」という問題に答えようとしている。その思考過程が非常に有益。
本書では、小説が他の芸術と異なる点を「非映像性」としている。視覚文化が優位となる現代において、小説の役割は何か。興味深い問題である。小説は言語芸術であり、そこには映像も音もなく、すべては言葉を介して読者が想像することで、世界が構築されるという。言語記号からイメージを「想像」すること。それは、小説の楽しみの一つであり、同時に困難な点でもある。

 小説においても、もちろん、イメージの喚起力が強い表現は、読者の頭の中に、鮮明なる像を結ばせるであろう。しかしこの「想像」の作業は、現実には極めて労力の要る作業である。文字という記号から、自らが持つコードを参照し、そこに具体的な映像まで用意しなければならないからである。最近の読書行為では、記号化が進み、想像をしなくても済むような読書行為が増えているのではなかろうか。(p.189-190)

このあたりの問題は、『ゲーム的リアリズムの誕生』の議論と合わせて考えると面白い。「記号化が進み、想像をしなくても済むような読書」が増加した「環境」のなかで、小説がどのように生き残るのか。
また、本書の後半では、物語や虚構をいかに復権させるかが問われるのだが、「今は、これまでのような小説読者を増やすことによる小説の復権ではなく、小説作者を増やすことによって、小説を取り巻く環境自体から整備するべき時なのかもしれない(p.179)」という言葉を考えてみる必要がある。

小説の方法―ポストモダン文学講義

小説の方法―ポストモダン文学講義

定延利之『よくわかる言語学』

定延利之『よくわかる言語学アルク、1999年11月
言語学は、使われている用語がなかなか理解できなくて、これまで敬遠していた。なので、言語学の面白さを知らなかったのだが、本書のおかげでけっこう面白い学問であることがわかった。
入門書として非常に優れていて、専門用語の解説はわかりやすい。また、「記号とは何か」「体系とは何か」「文法とは何か」「機能とは何か」などの解説が非常に有益。言語学では、こうした語がどのような意味を使われているのか、ようやく理解することができた。こうしたことをきちんと理解しておくことが大切。

蒲松齢(立間祥介訳)『聊斎志異』

◆蒲松齢(立間祥介訳)『聊斎志異岩波書店、2000年6月
岩波少年文庫のものなので、文章は中学生向けになっている。そのおかげで、かなり読みやすくてよい。
清の蒲松齢によって書かれた『聊斎志異』。不思議な物語が集められたものである。幽霊や妖怪が出てくるが、この本で読むとあまり怖くはない。中学生向けということもあってか、選ばれた物語に出てくる妖怪や幽霊は、たいてい人に良いことをしてくれる。それはそれで面白いのだが、他にどんな話があるのか、あるいは元の文章で読むとどんな印象を受けるのか、大変気になるところだ。
「鬼の国と竜宮城」という話は、原題は「羅刹海市」であるが、日本の浦島太郎のような話。竜宮に行った男が、そこの竜王に認められ、その娘と結婚する。で3年の月日が流れた。そして、家族が心配になった男はふるさとに戻る。しかし、一度ふるさとに戻ることを決めた男は、もうこの王女と夫婦ではいられなくなる。男の帰郷によって、二人は会えなくなってしまうという悲劇の物語になる。玉手箱は出てこないが、男は王女に一生独身でいることを約束している。夫婦の愛情物語になっているところが、浦島太郎の話との違いか。

聊斎志異 (岩波少年文庫 (507))

聊斎志異 (岩波少年文庫 (507))