大江健三郎『河馬に噛まれる』

大江健三郎『河馬に噛まれる』講談社文庫、2006年5月
『ウンコに学べ!』を読んだときに、この小説が取り上げられていた。連合赤軍の事件と「ウンコ」の関係。すなわち、これは革命と「ウンコ」の二項対立が描かた、いわゆる「ウンコ」の文学のひとつと言って良いだろう。金塚貞文『人工身体論』でこの作品が分析されているらしい。『人工身体論』も読まねばいけない。
この小説は、連合赤軍をモデルに書かれている。6編の中短篇作品で構成された連作小説である。この形式は、おそらく本書全体のテーマと関わっていると思われる。
小説の最後で、登場人物のひとりである「ほそみ」が、語り手で作家の「僕」の作品『日暮れて』の一節について語る。「僕」がその作品のなかで、中野重治の文章を引用していることを述べ、その文章のなかで中野重治が「この項つづく」という言葉を書いていると述べたという。そして、ほそみの夫である「サトル」と「僕」の関係も、「この項つづく」というほかないと、ほそみは「僕」に語るのである。
私はここを読んで、『河馬に噛まれる』は「この項つづく」という言葉で要約することができると思った。小説は物理的にどこかで一旦は書き終えなければならないが、だがそれはすべての終りを意味するわけではない。また、次の作品へと繋がっていく。『河馬に噛まれる』はメタ小説的な要素もあって、ある章が別の章で批判的に読まれていたりする。こうした小説の構造は、河馬の生態と重ねられる。

河のなかに緑の植生のかたまりができると、河は氾濫する。水中で盛んに活動する河馬は、植生のかたまりに通路を開き、水の流れを恢復させる働きをする。河馬にはまた、ラベオという魚がまつわりついており、河馬が陸上からおとしこむ植物や、河馬自体の糞を食べる。そのようにして河馬は、アフリカの自然の生物の、食物連鎖に機能をはたしている。(p.31)

「この項つづく」は、大江健三郎の小説家としての決意表明のように思える。

河馬に噛まれる (講談社文庫)

河馬に噛まれる (講談社文庫)