保坂和志『カンバセイション・ピース』

保坂和志カンバセイション・ピース新潮文庫、2006年4月

 私というのは暫定的に世界を切り取るフレームのみたいなもので、だから見るだけでなく見られることも取り込むし、二人で一緒に物や風景を見ればもう一人の視線も取り込む。言葉のやりとりでその視線を取り込むのではなく、視線を取り込むことが言葉の基盤となる。(p.490)

一番最後にある、この文章が印象に残った。だから、人は実際に見たことがない風景でさえも想像することが可能だし、そうすることによって世界が多層化するのだろう。もし、このように別の視線を取り込むことができなかったなら、世界は平板にしか映らなかったのではないか。
この小説は、視線にだけ特化しているのではない。他にも嗅覚や聴覚など五感が重要で、五感が受ける刺激から立ち上がる「場」が小説の世界そのものとなっているのだ。このあたりは、たとえばプルーストの『失われた時を求めて』に近い小説だと思う。

カンバセイション・ピース (新潮文庫)

カンバセイション・ピース (新潮文庫)