星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』

星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』講談社、2005年6月
読み終えた直後に感じたのは、この作品は『ロンリー・ハーツ・キラー』と似ているということだ。この作品もまた、『ロンリー・ハーツ・キラー』と同様に、三島由紀夫あるいは三島的なものとの対決を目指したものなのだろうか。
一つの家族を通じて、日本の戦後思想や政治のあり方を寓意的に描いた作品である。父親の「憲三」は戦後民主主義を体現する人物であるが、妻の「貴子」はそんな夫の犠牲でしかない専業主婦であり、こんな両親から生まれた二人の子どもは、一方は左翼の活動をする「好美」、もう一方は極右(しかも団体や暴力を拒否する一人右翼)の活動をする「純」と、両極端の方向へ進んでいく。何もない、空っぽであるという父親に反発し、その空洞の中に何かを必死に詰め込もうとする二人の子どもたちがいる。こうした親子の対立は、現代の社会状況と重ねて読むことができそう。
しかし、星野の現代社会に対する批判の内容はともかく、彼の小説をデビュー作から全部読んでみてきたが、どうもワンパターンな物語ばかりに思える。そろそろ自分の書き癖というか殻を打ち破るような作品を生み出さないと、つまらない作家で終わってしまうのではないだろうか。もう小手先だけのテクニックで書いた作品では通用しないと思う。星野は、長篇作品といっても、単行本にしてせいぜい200ページを越える程度の作品しかない。一度腰を落ち着けて、たとえば『シンセミア』のような、大きな構想をもとにした作品を書かねばいけない時期に来ているのではないだろうか。

在日ヲロシヤ人の悲劇

在日ヲロシヤ人の悲劇