岡田暁生『西洋音楽史』

岡田暁生西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中公新書、2005年10月
以前、岡田氏の『オペラの運命』を面白く読んでいたので、本書も期待しながら読み始めた。一般の読者が、西洋音楽の歴史の流れを理解できるようにと書かれた本なので、非常に読みやすい。また音楽の技法の歴史だけではなく、音楽の生まれた時代背景と関連させながら論じている点が特徴である。
本書は、中世から始まって現代まで触れられているが、私が面白いと思ったのは、18世紀から19世紀にかけての箇所。章で言うと、第4章の「ウィーン古典派と啓蒙のユートピア」と第5章「ロマン派音楽の偉大さと矛盾」である。「芸術」としての音楽と「娯楽」としての音楽がはっきり分離するのが、19世紀以来のことだそうで、たとえば「門外漢にとって難解で敷居が高く、演奏会で静かに傾聴すべき、真面目な芸術音楽」が発展したのは、「ドイツ語圏」であるという。そして、「クラシック=ムズカシイ音楽」というイメージは、この「ドイツのクラシック」のみに当てはまるとのことだ。西洋音楽といっても、ドイツとフランス・イタリアの対立があったことをはじめて知る。こういう知識は面白い。
19世紀には、昔から興味があるのだが、音楽の分野でもこの時期に現代に繋がる要素が整備され、形づくられていたことが分かった。音楽に限らず、文学でもそうだが、「現代」を理解するためにも19世紀の研究は重要だ。この点に関して、著者は20世紀を扱った第7章で少し述べている。前衛作曲家に対し「公衆を置き去りにした独りよがり」という批判、またクラシックの演奏畑の人に対して「過去にしがみつくだけの聖遺物崇拝」、そしてポピュラー音楽に対しては「公衆との妥協」「商品としての音楽」といったステレオタイプな批判があるが、これらの批判はみな、「一九世紀に生まれた音楽史の新たな可能性を、負の方向へ反転したものに他ならない」(p.228)と主張している。そして、こうも言う。

 あまり悲観的になるのは禁物だろうが、一つ確実にいえることは、われわれはいまだに西洋音楽、とりわけ一九世紀ロマン派から決して自由になっていないということ、その亡霊を振り払うのは容易ではないということである。(p.228)

時代の先端を行くと自負する現代音楽も、「美学や制度の点」においては「保守的」なのかもしれないし、人々の感動を消費し尽くそうとしているポピュラー音楽こそ、「「感動させる音楽」としてのロマン派」の後継者である(p.229)と言う。音楽には、依然として19世紀的なものが残っているというわけだ。こういう見方がどこまで妥当なのか、音楽学の知識がまったくないので分からないが、19世紀と現代の連続性に関心がある私には興味深い内容である。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)