谷崎潤一郎『少将滋幹の母』

谷崎潤一郎少将滋幹の母新潮文庫、1953年10月
古典文学で色好みとして有名な平中(へいじゅう)を取材した物語。平中については、芥川も「好色」で小説にしている。谷崎と芥川といえば、小説の筋を巡る論争が有名なのだが、谷崎は終生芥川を意識し続けた作家だと思う。この前読んだ「鍵」でも作中で芥川のことが言及されていた。谷崎が芥川をライバルとして意識していたのは興味深い。
この小説のなかで、もっともよく谷崎文学を表わしているのはつぎの場面であろう。

嘗て滋幹は幼少の折に、父の跡をつけて野路を行き、青白い月光の下で凄惨な場面を目撃したことがあったが、あれは秋の真夜中の鋭く冴えた月であって、今日のようなどんよりした、綿のように柔かく生暖かい月ではなかった。あの時月は地上にある微細な極小物までも照らし出して、屍骸の腸にうごめいている蛆の一匹々々をも分明に識別させたのであったが、今宵の月はそこらにあるものを、たとえば糸のような清水の流れ、風もないのに散りかかる桜の一片二片、山吹の花の黄色などを、あるがままに見せていながら、それらのすべてを幻燈の絵のようにぼうっとした線で縁取っていて、何か現実ばなれのした、蜃気楼のようにほんの一時空中に描き出された、眼をしばたたくと消え失せてしまう世界のように感じさせる。……(p.170)

40年ぶりに滋幹が母と再会する最後の場面である。滋幹の父は、師の大納言で老翁の「国経」である。国経は若くそして非常に美しい妻を愛していたのだが、「時平」にその妻を奪われてしまう。美しい妻への愛執を断ち切るために、「不浄観」の修行として国経は時折「屍骸」を見に行っていた。あるとき、滋幹はその父の姿を目撃してしまう。国経は、人間もモノにすぎないという端的な事実を認識することで、妻(=幻想)を断ち切ろうとした。この世界は、「蛆の一匹」までも「分明に識別」可能な高解像度の世界である。一方、国経が妄執した妻であり滋幹が恋い焦がれ続けた母の世界は、「幻燈の絵」のように「ぼうっとした線」で縁取られた「現実ばなれ」のした「蜃気楼」のような世界である。ここには、くっきりとモノを写しだす「現実」の世界と、あいまいでぼんやりとした「幻想」の世界の対立がある。この対立において、谷崎が選ぶのは当然「幻想」の世界である。谷崎にとって「文学」とは、「母」に表象される「ぼんやり」とした「幻想」の世界を追求することであろう。

少将滋幹の母 (新潮文庫)

少将滋幹の母 (新潮文庫)