林芙美子『浮雲』

林芙美子浮雲新潮文庫、2003年12月
成瀬の映画と同様、小説も面白かった。小説をほぼ忠実に映画化したことが分かる。
小説を読んでいて気になったのは、ちょくちょく「白」色が出てくることだ。南方にいるときは、ゆき子も富岡も「白」色の服を着たりしている。「白」色のハンカチとか、部屋の壁が「白」色を見つめていたりする。屋久島に渡るときに二人が乗船する船は「白い照国丸」で、船内の一等客室にある毛布は「白く新しかった」(p.418)。屋久島に着くと、「白い砂地」に降り立つことになるし、雨の多い屋久島は「白いもやの壁」が視界を妨げている。この小説全体に「白」のイメージをまき散らしているように思える。
印象に残る場面をいくつか引いてみる。たとえば、伊香保温泉の場面。ここで知り合いになった女性「おせい」に富岡は手を出してしまう。ゆき子が富岡がなんだか怪しいと感じたのは、一緒に温泉に入りにいった時に、ゆき子が富岡の着替えだけ風呂敷で包まれているのを見たからだ。しかも、そのなかには、あたらしい「白いパンツ」が用意されていたのだ。(p.225)
屋久島に逃げるように旅立った二人であるが、途中でゆき子が病に倒れる。この病が、ゆき子の運命を決定づけてしまう。「白」に注目してみると、ゆき子の周囲で徐々に「白」が汚れていき、最後には「白」が無くなってしまうことが分かる。「白」の汚染は、まるでゆき子の身体を徐々に浸蝕していく病の隠喩に思えてくる。
ゆき子が大日向教のお金を持ち逃げした時に、滞在した旅館の部屋には「白いカーテン」が掛かっていた。しかし、この「白いカーテン」には汚点が付いていた。
その後、二人は別れようとしたのだが、行き場を失ったゆき子は富岡について行くしかなく、東京の富岡の部屋に帰ってくる。そして富岡の屋久島行きが決定し、伊庭から逃げるしかないゆき子も屋久島に行くことになる。
屋久島に向かうとき、「白」色に囲まれていることは先に指摘した。病が回復しないまま、ゆき子は屋久島に到着する。すでに歩けないほど弱っているゆき子は、屋久島での住まいとなる官舎にタンカに載せられて運ばれていく。その官舎の部屋は、こうなっていた。

 玄関の戸が、軋みながら開いた。タンカは躓きながら、家の中へ這入って行ったが、天井の板は汚点だらけで、板壁には新聞紙が張ってあった。ゆき子は、ここが官舎なのかと、眼を瞠っている。(p.442)

ゆき子が東京で、荒物屋の物置を借りて一人暮らしをしていた部屋の壁は「白い紙」を張り巡らせていた。この部屋で、知り合いになった外国人のジョオと過ごすが、ジョオは「大きな枕」を持ってくるが、それは「白いカヴァ」でくるまれていた。このように、ゆき子が借りていた部屋の壁と屋久島の官舎の壁は、対照的になっている。屋久島の部屋は汚染されてしまって、もう「白」色の入る余地がなくなっている。まるで、ゆき子の病に冒された肺のように、天井が汚れ、壁は新聞紙で覆われてしまっている。
こうして物語を振り返ってみると、ゆき子の病は、大日向教の金を持ち逃げした時にすでに始まっていたのかなと思う。「白いカーテン」の汚点、これが病の徴候で、汚点が徐々に身体に広まっていったのだろうと。この物語では、「白」色が出てくるときに、何か変化がおきるように思われる。「白」色の機能には注意すべきだろう。

浮雲 (新潮文庫)

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