高橋哲哉『戦後責任論』

高橋哲哉戦後責任論』講談社学術文庫、2005年4月
文庫化を機に読み直してみた。今年は戦後60年だけど、この本は戦後50年のころに書かれている。戦後責任の諸問題は、10年前からあまり進展がないのかなと思う。まだ、最近の本である『靖国問題』を読んでいないから、比べられないけれど。
この本の加藤典洋批判は、その通りだなと納得。中途半端に現象学をかじると、素朴な実感主義になって、けっきょく自己中心主義に陥ってしまうのだなと。ボロボロな論を展開している加藤典洋の姿を見て反省する。
それはともかく、加藤典洋やいわゆる自由主義史観の人たちへの批判は良いのだけど、その一方で、本書を全面的に支持しても良いのかなとも感じる。こういう本を読むと、いつも何かいちゃもんをつけたくなる。何か穴を見つけて、とことん批判したくなるのだけど、その穴が見つからないなあ。敵はかなり手強い。とりあえず、ひっかかる文章を一つだけメモしておく。

植民地支配や侵略を受け、自らの民族性を否定されようとしているような人々が、支配民族に抵抗するナショナリズムの場合など、私はナショナリズムがあらゆる場合に、あらゆるコンテクストで否定されるべきものとは考えません。しかし、事実上の問題としてかつて植民地帝国として異民族支配を行ない、少数民族を圧迫、「同化」し、その結果として大規模な民族移動を引き起こしたような国においては、マジョリティ(民族的多数派)のナショナリズムはもはや「健全」ではありえない。(p.184)

あらゆる場合において、ナショナリズムを否定されるべきものと考えないというのは、私もその通りだと思うけど、著者にはあらゆるナショナリズムを否定してほしかったなあと思ってしまう。「健全」とか「健全」でないとか、そういう二項対立的な思考がダメなのじゃないか。

戦後責任論 (講談社学術文庫)

戦後責任論 (講談社学術文庫)