芹沢一也『狂気と犯罪』

芹沢一也『狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』講談社α新書、2005年1月
けっこう評判が良い本。呉智英も、書評で「刺激的な好著」だと評価していた。また、エキサイト・ブックスのほうでも、著者のインタービュー記事が最近連載されており、その内容を読んで本書に強い興味を持った。著者は日本思想史が専門とのこと。また研究のベースにフーコーを置いており、インタービューのなかでも「僕は100%フーコー派の人間ですけど、理論枠組みを入門的に紹介するのではなく、フーコーを使って実際に歴史を描き出してみようと。しかもフーコーの名前やタームは一切出さないで」と述べている。こういうところに、私は興味を持ったのだ。
そして、一気に読んでみると、たしかに好著だった。分かりやすい言葉で、また専門用語を振りかざすことなく、分析していくスタイルには好感を持った。それでいて、鋭い批判もしている。歴史という縦軸の分析と精神医学と司法の関係という横軸の分析が、非常にバランス良く為されている。とても面白い本だ。
本書の批判は、「精神病院列島」などと言われる日本の精神医学のあり方に向けられている。精神医学と司法とくに刑事司法の関係を、歴史的に辿り、いかにして「精神病院列島」と呼ばれる状態が出現したのかを論じる。そして、精神障害者を排除する法や社会のシステムを明るみにだした。
面白いのは、排除のシステムの根底にあるのが人格主義、ヒューマニズムという精神なのだ。人間、あるいは人の個性を重視するシステムが現れたとき、「狂気」が生れる。「狂気」はやがて犯罪と結びつき、危険なイメージを帯びる。その時、社会を「狂気」という危険から守ろうと登場するのが精神医学だったのだ。精神医学こそ、精神障害者自身の声を奪ってきた歴史が描かれ、著者はそこを鋭く批判している。
犯罪者の人格や個性を重視する法のシステム。あるいは犯罪者の動機やいかなる環境で成長してきたのかに強い関心を持つ社会。こうした人格主義的な、法の意識が問題なのだろうか。こうなると、次はこうした法意識がいかに生れたのかが気になる。

狂気と犯罪 (講談社+α新書)

狂気と犯罪 (講談社+α新書)