「私」のたれ流し

読んだ本、見た展覧会、行ったイヴェント、過ごした蕎麦屋、それほど自分の行動をさらして何が楽しいのか。ルソー的「告白」か、あるいは「私小説」的日本か?(『ユリイカ』2005年4月号、p.142)

購入本について記していたら、『ユリイカ』「ブログ作法」での上野俊哉のこんな文章を思い出してしまった。こんなふうに日々自分の買った本など「告白」して何が楽しいのか。別に楽しくはないな。
しかし、アメリカのブログなんかを見て回っても、たいていのブログでは自分のこととか家族のこと(家族の写真とかデカデカと載せてるのもあるし)を書いているのだから、まあ「私」のたれ流しは「日本」だけじゃないよなあとか思ったりもする。「私」について書くと、すぐに日本的「私小説」かと述べるのは、「私小説」について勘違いしているか、紋切り型の思考停止でしょう。カルチュラル・スタディーズの限界とでも呼べばよいのかな。