島崎藤村『春』

島崎藤村『春』岩波文庫、1970年3月
この小説は、大きく3つに分けることができるのかもしれない。まず、前半は、岸本周辺の文学青年たちの群像。次に、北村透谷がモデルという青木の苦悩(身体的と同時に精神的)→自殺。最後に、岸本が青木的な苦悩を乗り越えて、仙台へ新たな生活を求めて旅立つまで。
岸本が島崎藤村ということらしい。この岸本という人物は、かなり変な人。青木は、ある意味典型的な煩悶する明治の文学青年というイメージそのままだけど、岸本はそうした面も持ちつつも(青木とダブるわけだが)、青木のように自殺できなかった。何度か死のうとはしているが。その行動がおかしい。いきなり頭を剃って、お坊さんになって、ふらふらとあてもなく歩き回る、そんなことをするのだ。で、「乞食坊主」なんて罵られて、惨めな思いをしたとかでショックを受けているし。この岸本の悲劇は、何をやっても中途半端になってしまうところだろう。「天才」ではないのだ。このあたりの凡人ぶりに、ちょっと共感してしまう。岸本は、仙台へ向かう列車のなかでこうつぶやくのだ。

あゝ、自分のようなものでも、どうかして生きたい。(p.299)

たしかに、この気持、分からないでもない。青木のようには、けっしてなれない。とするなら、けっきょく「生きる」ことしか残されていない。岸本という人物は、物語中でもほんとに冴えない人物だけど、その冴えないという一点において、愛すべきキャラクターかもしれない。なんと言っても、名前が「捨吉」なのだ。母親からは「捨(すて)」と呼ばれているし。子どもに「捨吉」なんて名づける親もどうかと思うが…。

春 (新潮文庫)

春 (新潮文庫)