メルヴィル『白鯨(中)』

メルヴィル(八木敏雄訳)『白鯨(中)』岩波文庫、2004年10月

幹から枝が生え、枝から小枝が生えるように、豊饒なる主題から、あまたの章が生れる。(p.238)

ようやく捕鯨活動がはじまって、その様子が逐一と語られるのだが、その物語の途中に、イシュメールの「鯨学」講義が挿入されている。
延々とイシュメールのうんちくに付き合わされるので、だんだん読むのが辛くなってくる。一つ一つのエピソードは、かなり面白いのだから、捕鯨に関する知識など披露しなくても良いのにと感じてしまう。イシュメールの鯨に関する「豊饒」な知識、鯨についてのあらゆる知をかき集め、「鯨」という主題を説き明かそうとするイシュメールの強い意志をまた同時に感じる。実は、この巻では、ほとんどエイハブ船長など登場してこないのだ。『白鯨』といえば、エイハブの復讐心というのが有名なはずなのに、エイハブよりも語り手イシュメールの執着心のほうが強いのではないか。『白鯨』はエイハブの物語なんかではない、イシュメールの飽くなき鯨への執着こそ、中心となる主題なのではないか。そんなことを考えてしまう。
実際、イシュメールの語りが章が進むにつれて饒舌になっていくことがよく分かる。上巻あたりの、落着いた語り口は次第に失われ、「読者諸君」などと呼びかけることが多くなっていく。語りに夢中になって、だんだん語りに熱がこもって、目の前の聴衆を巻きこんでいく。そうした語りの熱が、引用した文章が示すように、「あまたの章」を生んでいく。これはエイハブでもモービィ・ディックの物語でもない。「鯨」に取り憑かれたイシュメールの物語なのかもしれない。
あと下巻が残されているのだが、果たして物語の後半はどのように展開するのか。

白鯨 中 (岩波文庫)

白鯨 中 (岩波文庫)