多和田葉子『旅をする裸の眼』

多和田葉子『旅をする裸の眼』講談社、2004年12月
全部で13章あり、それぞれの章に一つの映画のタイトル(おそらく。日本語のタイトルではないので、何の映画か調べないと分からない)が付されている。ベトナムからベルリンへ行き、そしてある男にボーフムに連れて行かれ、やがてパリへ移動する「わたし」がいる。「わたし」はひたすら毎日映画館に通い、何度も映画を見る。そんな「わたし」はパリで見た映画のなかで「あなた」に出会う。不法滞在という不安定な身なので旅の途中で出会った人の家に身を寄せながら、パリで映画を見る日々。「あなた」を見て、「あなた」に話しかけるように。
「わたし」の1988年から2000年までの物語と、「わたし」が「あなた」を見続ける物語の二つが交錯している。それぞれ文体が異なる。「わたし」が「あなた」に話しかけるように語る時は、「です・ます調」になっている。文体が急に変化する箇所などもあって、不思議な物語世界をかもし出している。
「わたし」が映画に出てくる「あなた」に萌えている、そういう物語だと言える。一方でまた「言語」萌えみたいなものもこの物語にはあるのではないかと思う。いや、もっと正確に言うと、多和田葉子という作家は「言語」に萌えているのではないか、とこの小説を読みながら感じた。私は、多和田葉子は複数の言語が入り交じる物語を書く作家である、という勝手なイメージを持っているので。

旅をする裸の眼

旅をする裸の眼