『三島由紀夫伝説』
◆奥野健男『三島由紀夫伝説』新潮文庫
評伝というのは、どうしても似たような記述が出てくるもので、それは仕方がないのだけど、この本もまた三島家の祖母の圧倒的な支配力、三島の身体コンプレックスからボディビル、徴兵検査の話、同性愛傾向、天皇、そして切腹といった、三島を語る上で必ず言及されるであろうキーワードが続出する。
しかも、奥野健男が用いる作品解釈の方法は、心理学的、精神分析的読解だ。これは、いわば三島の内面の「深さ」あるいは「深層」を読み込もうとする試みを意味している。そこから引き出されるのは、たとえば祖母の影響から解放されるために「金閣寺」を焼いたとか、同性愛傾向については、祖母への同一化があり、つまり祖母の欲望を満たすためだとか。そういう読みもあるかも、と思いつつも、時々無理矢理エディプス・コンプレックスの枠組みにはめ込んで、おかしな解釈をしている箇所もある。文芸評論家だから、少しは無理をしてでも、自分の読みを押し出すこともあるだろう。
奥野の方法は、まずはじめに「結果」なり「事実」があり、作品の解釈をその「結果」に合わせるように組み立てていくことになる。たとえば、『豊饒の海』はどうか。奥野は三島の「私はこの小説を完成させるのが怖い」という言葉を重視する。この言葉の意味は、すでに三島は小説を書きながら、この小説の完結後の「ただならぬ状況、自己破滅」(p.427)を予感していたということだ。つまり、三島は「死」を意識しており、そうすることによって「末期の眼」を持ったのだ。この「末期の眼」を得たとき、ぼんやりとした混沌的な世界が三島の前に鮮明に映し出されてくる。「死」を意識したことによって、他の人には見えない「本質」を見ることが可能になったのだ、というわけだ。こうして三島は『豊饒の海』を完成させることができた。
このように三島の晩年に関しては、しばしば三島がいつ「死」を考え始めたのか、ということが問題にされる。それは、たとえば『豊饒の海』のもともとの構想と作品のプロットの変化を解釈する際に必要とされる。三島の内面の変化と作品が、ぴったりと連動しているのだ。
この前に読んだ『三島由紀夫とテロルの倫理』では、文学者は三島の行動をテロと捉えることを認めないとあったが、たしかに奥野はこう記している。「三島由紀夫は自らの文芸の道のために死んだのであって、決して政治のため、ましてや自衛隊のためになど死んだのではない。」(p.475)作家の行動と作品をぴったり連動させる奥野にとって、三島の自決はなにより『豊饒の海』の完成に必要な絶対に欠かせないものとなる。だから、奥野はこう書くしかない。
生命以上の価値がある魂の物語が『豊饒の海』である。既に『豊饒の海』をその朝に完結させて来た三島由紀夫は生命以上の価値ある文学作品を全世界に呈示した筈だ。その上に自らの生命を絶ってみせるとは。これは自分のこれまでの全作品に魂を吹き込むためではなかったか。入魂の秘儀である。(p.474−475)
すごく芸術至上主義っぽい。命と引き換えに作品を完成させる三島像。三島の劇的な死は、こういう解釈をどうしても引き寄せてしまうのだろう。やっぱり文学にはロマンがよく似合う。
ところで、三島自身に関して、私がよく理解できないことがある。三島は「文化防衛論」のように、断片をささえる<全体的なもの>あるいは<超越的なもの>への志向があると同時に、一方で精神分析や民俗学を否定していて、そのような「深層」を探るのではなく表層とか外面しかないという考えをもっている。大塚英志が三島から既視感を感じると書いていたが、たしかに80年代のポストモダン的な面を三島が持っていたのではないかと思う。それと、<超越的なもの>への志向が、三島のなかでどのような形で共存していたのか?。パッと思いついて、なんの証拠もないけれど、宮台真司が三島を論じていたのは、やっぱり三島に共感というか、三島と自分自身がダブっていたのだろうなあと思うわけで。とすると、三島を読むことで、ポストモダン→ぷちナショナリズムを考えるヒントが得られるのかもしれない。