とても誠実な本

塩川伸明『《20世紀史》を考える』勁草書房
蓮實重彦夏目漱石論』福武文庫
歴史学や政治について、とても真剣に考察している本で非常に勉強になる一冊。おそらく、著者の考えは『歴史学って何だ』と近いような気がする。なので、歴史について考える人は、両方を読むのが良いと思う。
私は、ロシアやソビエトの政治や、社会主義などはよく分からないので、もっぱら歴史学の方法について論じた箇所に興味を持った。とりわけ10章においては、「新しい歴史学」の方法にたいする批判的検討と、最後に藤原帰一『戦争を記憶する』の書評あたりが私の関心に近い。
たとえば、「国民」の歴史あるいは記憶というものが、作られたものだと批判する。こうした認識は、いまや常識となっていると言える。作られた記憶だと批判することは良い。だけど、そうした認識が広まったにも拘わらず、現実の紛争は一向に解決しないという問題もまたあることの指摘。こうなると、知識人のあり方の反省へ導かれるだろう。
この点は書評の対象の藤原帰一も指摘しているという。藤原の場合、国家による上からの操作だけでなく、国民つまり下からのナショナリズムも指摘する。
この点に関して、塩川氏は「この指摘は鋭い」と述べ、「国家権力の操作だけに尽きない民衆の恐ろしさのようなものの認識だといってよいだろう。ここには、いくら知識人が国家権力およびその情報操作や教育政策を批判しても、それだけでは往々にして無力にとどまることの反省があるように感じられる」と記す。
だけど、塩川氏はここにも疑問を差し込む。

人を排外的な言動に追い立てるのが少数の権力者のデマゴギーだけなら、まだしも話は簡単だが、民衆自身の中から草の根の排外感情が生れてくるとしたら、それに対抗するにはどうしたらよいのだろうか。(p.302)

この箇所は、『<癒し>のナショナリズム』を思い出した。塩川氏も解答困難な問題と書いているけれど、ほんとにこうした国民あるいは民衆の側から、つまり「下から」湧き起こる排外的な感情に対抗するにはどうしたらよいのだろうか。
この問いは、もしかして、昨今注目されている監視社会批判にも応用できるのかもしれない。「安心」「安全」を求める国民が、監視カメラを求めるとして、それを「管理社会に繋がるぞ」と批判しても効果がない。少々のプライベートを犠牲にしても、身の回りから「危険」を取り除きたいと思うだろう。「上から」の権力に対しては、抵抗する方法が洗練されてきたけれど、「下から」湧き起こる感情に対して、どう抵抗したらよいのだろうか?
夏目漱石論』は、昔読んだ本なのだけど、今回読み直したら、それほど面白い本ではないなあと感じた。はじめて読んだときは、けっこう衝撃を受けたのだけど…。やっぱり映画論のほうが面白いなあ。