漠然とした不安と消極的なつながり

小熊英二・上野陽子『<癒し>のナショナリズム――草の根保守運動の実証研究』慶応大学出版会
かなり面白い本。<普通>の市民による<常識>的な運動が、じつは自らのアイデンティティの不安定さを癒していたこと。したがって、つねに<普通でないもの>を見つけては、それを批判していかなければならない自己の弱さがあることなど、興味深い調査・研究だなあと思った。
他人との積極的なつながりを求めるよりは、やわらかいつながりと言って良いのか、なんとなく価値観を共有できて、なんとなく誰かと繋がっていられる空間を欲している人々が浮かび上がってくる。このあたりはたとえば北田暁大氏の2ちゃんねる論と結びつくところなんだろう。
自分自身の核となるアイデンティティが確立できない。価値のニヒリズムという指摘もあったのだけど、絶対的なものあるいは「大きな物語」が消滅した後、すべてが相対化されてしまって、自分がどこにいるのかが分からなくなってしまった人たちがいる。この論では、戦争を実際に身を以て体験している「戦中派」の人と若い人たちの間に大きな溝が出来ていた。そして、若い人たちが、自分の考えなどを述べるとき、どうしても留保付きで語ってしまうのに対し、「戦中派」の人は体験を核とした自分の考えに揺るぎなさを持っているという分析など、とても興味深い。
他人に価値観を押しつけられるのはイヤだけど、他人に自分の考えを押しつけているとみなされるのもイヤだ。他人にまで、自分の意見を押しつけてしまうことを、ある参加者は「全体主義」と呼んでいたけど、他人とはつかず離れずといった心性が見えてくる。他人まで巻き込むような、社会変革を実現させようとする「運動」はしたくない。けど、今の社会には満足していない人たち。結局、彼らは強い自己主張をするような「サヨク」を「自己中心的」と批判するのだけど、自分たちもまた別の意味で、つまり他人に干渉しないしされたくないという「個人主義」である。そんなところは、たとえばインターネット上でも見られることだし、すごく納得した。
自己のアイデンティティの不安定さ、他人とのやわらかい繋がりを求める心性。それらが「草の根保守運動」の原因となっている、ということか。つまり<癒し>を求める人々というわけだ。