見たということ

◆『ヴァンダの部屋』監督:ペドロ・コスタ/2000年/178分
蓮實重彦青山真治が、対談などでちょくちょく言及し、賞賛していた作品『ヴァンダの部屋』を見る。二人が賞賛するのだから、きっとすごい作品なのだろうと期待する。この映画の何がすごいのだろうか?とずっと考えていたのだ。
ペドロ・コスタや、この映画について、前もって調べずに見に行ったので、180分もある映画だとは知らず、上映前、体力が持つのかどうか心配になった。実際、やはり疲れた。首とお尻がめちゃくちゃ痛い。九条のシネ・ヌーヴォの座席はどうも相性が悪くて、いつも映画を見ると疲れるのだ。
さて、肝心の映画のほうだが、感想を書くのが難しい作品だ。3時間あまり、画面を凝視しつづけていたわけだが、では何を見たのだろうかと首をひねってしまう。
ヴァンダという女性が、自分の薄暗い狭い部屋のなかで、妹とクスリを吸っている。時折、クスリのせいかひどい咳きをするヴァンダ。目付きなどを見ても、とても健康に見えない。きっと身体はボロボロなのだろうということが一目でわかる、そんな女性だ。彼女は、時々野菜を売り歩くが、さっぱり売れない。で、部屋に居るときは、ただひたすらクスリを吸い続けている。そんな生活の繰り返し。固定されたカメラは、そんな彼女たちの姿を淡々と映している。3時間の上映時間の大半は、これだけなのだ。
一方で、ヴァンダの住んでいる地区では、次々と建物が壊されている。ヴァンダの部屋の部屋にも、建物を破壊するショベルカーの音が聞えている。このノイズに苛立ちを感じることはあっても、それに対し何か抵抗を示すことはない。ただ、ノイズがヴァンダの周囲にあるだけなのだ。
部屋の外では、建物が壊されている。人々は貧しい。ヴァンダたちは薬物中毒。この映画は、ただ壊れていくそれだけを写し取ったみたいだ。しかし、私はヴァンダの苦しげな咳きと建物を破壊する音、そして赤ん坊の声が混在している場面を見ていて、妙な気分になってくる。家や身体の破壊と同時に、赤ん坊という生が混じり合う。気持ちが悪いと感じる一方で、それでも人が生きているのだなあという印象を受ける。
とりあえず、映画を見て、その中から私が覚えていることを書き連ねてみたが、結局何が何だか分からない。分かっているのは、3時間近くこの映画を見たということだけなのだ。なんだか変な気分になってきた。