疑うことと信じること

酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社
柴崎友香『ショートカット』河出書房新社
『暴力の哲学』、テーマはなかなか刺激的かつアクチュアルだなあと思う。しかしながら、私には一読しただけででは、まだうまくこの本の全体を理解していないかもしれない。ちょっと不安。でも、「暴力」というものを様々な角度から分析していた、まさしくタイトル通り「暴力の哲学」だなと思う。
豊富な内容から、一つ気になったというか、興味深い言葉を引いておくと、以下の箇所となる。

ぼくたちは暴力を深く嫌悪しているけれども、同時に深く愛し深く魅せられてもいる。(p.209)

ここだけ、引用してしまうと、本書の中身を誤解されてしまうかもしれない。なので、この部分はあくまで私の中で重要だと思った箇所のメモだということを考慮して頂きたい。私としては、この箇所をもっとよく理解するために、本書をもう一度読んでみたい。そして、もう一つ鍵となるのは、「主権」という言葉だろう。

恐怖によって求心性の磁場をつくりだす主権を拒絶する力。残酷の組織化とエスカレーションを可能なかぎり回避するものとしての。そして、そこに非暴力直接行動があらたに位置づけられるのかもしれない。(p.212)

バトル・ロワイヤル』の分析などけっこう分かりやすかった。そのへんを手がかりに、また後で読み返してみようと思う。
『ショートカット』には、4つの短篇が収められている。どれも、共通しているのは、「距離」がモチーフとなっているところだろうか。具体的には、それは大阪と東京の「距離」があり、その距離に隔てられた恋人たちがいる。
この「距離」は、ときに無限の長さのようであり、二人の間に絶対的な「違い」が存在することを感じさせる。その「違い」は携帯電話があっても、新幹線で簡単に移動できるようになったとしても、「距離」は「距離」として存在している。
だけど、また一方で、この「距離」がある時には、ふと縮まる瞬間もある。それが、タイトルの「ショートカット」ということだ。この小説では、登場人物が「〜したいと思う」と、その願望に、それこそ「ショートカット」するように近づく。(その願望が実現してしまう、ということではない。)願望と、それを叶えようとるす行為が、一気に「ショートカット」して結びついてしまう。「距離」が無化されるのだ。このあたりの書き方は、けっこう面白い。
このような登場人物たちは、ある意味素直な性格の人たちなのかもしれない。いや素直、ということではまだうまく言い表せていない。この作品に登場する人物たちは、「疑う」ことを知らない人たちだ。このような性格づけは、小説として人物の描き方が甘いと評価することも可能だろう。しかし、私としては、そう簡単に切って捨てるほどでもないかなあとは思う。なんの疑いもせずに、さらっと人を信じてしまう登場人物たちが多く、これは一体どういうことだ?と考えてしまう。
ところで、『きょうのできごと』でもそうだが、柴崎友香は夜を舞台にすると、抜群に良いなあと思う。