「生」を語ること

夕方から、大学が行っている市民向け講座で指導教官がお話をなさるので、見学に行く。
テーマが近代文学における「生」と「死」といったものなのだけど、聞いていて思ったのは、たしかに物語では「死」は語られやすいが、逆に「生」というのはドラマチックなものになりにくいのかなあと。いや、正確には「生」と「死」は切り離せないのか。どちらか一方だけを語る、ということが不可能なのかもしれない。「死」を語るにせよ、その裏には「生」が対比されているし、もちろん「生」には「死」が対比されているからこそ、かろうじて「生」を物語ることができるのだろう。
たとえば、正岡子規の『仰臥漫録』を想起するとよいのかもしれない。この日記は、ある意味単調かもしれない。しかし読みようによっては、興味深い日記ではある。

九月二一日 彼岸の入 昨夜より朝にかけて大雨 夕晴
便通、繃帯とりかへ
朝 ぬく飯三わん 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入 菓子パン 塩せんべい
午 まぐろのさしみ 粥二わん なら漬 胡桃煮付 大根もみ 梨一つ 便通
間食 餅菓子一、二個 菓子パン 塩せんべい 渋茶 食過のためか苦し
晩 きすの魚田二尾 ふみなます二椀 なら漬 さしみの残り 粥三碗 梨一つ 葡萄一房

読んだことがある人はすぐに分かるように、『仰臥漫録』には、その日子規が食べたものが記録されていたりする。現代の人気blogのように、淡々と食べたものが記されているのだ*1
ところで、日記というジャンルが不思議なのは、けっして波瀾万丈な物語が書かれていなくても、つい続きが読みたくなってしまうことだ*2。それこそ、淡々とありふれた日々の記録が毎日同じように綴られているだけでも、それが毎日書き続けられているという理由だけで、その日記に不思議な魅力を感じ、読み続けてしまうことがある。名作というか、有名な日記作品というのは、何も日々奇抜な出来事が書かれているわけでも、深い思索が綴られているというわけでもないことが多いのではないか。たとえば、私はまだ未読なのだが、武田百合子の『富士日記』あたりは、そんな日記なのではないだろうか?と予想している。
話は横道に逸れたが、子規は日々食べたものを書き続けたわけで、その食物への執着は同時に「生」への執着であった、とも読める。なぜならこの日記を書いていた頃は、病気で狭い寝床で寝起きし、ただひたすら病の苦痛に耐え、「死」と闘っていた時期でもあることを私たちは知っているからだ。淡々を食べたものの名を記すことは、子規にとって「生」を語るということだった。引用したところを読むと、食べ過ぎのために苦しいとまで書いている。とても病人とは思えない食欲なのだ。その上、この子規の贅沢な食事のために、子規の家族はかなり苦労していたという*3。だが、その裏には忍び寄る「死」の影があったのだ。「生」というのは、実はこのようにしか表現することができないのかもしれないとふと考えてしまう。
私たちは、「死」については多くの語り口を持っている。「死」というのは、どういうわけか私たちを饒舌にするものらしい。しかし「生」というのは、直接に語ることが難しい。その理由がよく分からない。まあ「死」が人を饒舌にするのは、精神分析などを使うとうまく説明できそうな気はする。一方で、「生」はどうか?たとえば「生」の哲学とは何があるだろう?ベルグソンにはたしかに「生の飛躍」というものがあったが、どうも「生」そのものの哲学という感じがしない。「死」の哲学、なんていうものはしばしば聞くが、「生」の哲学というのはあまり聞かれない(あるのかもしれないが)。
だからといって、今の私には「生」の哲学として、一体何を考えればよいのか分からないけれども。まあ、「生」というものは意識して語るものではないのかもしれない。

*1:子規は、日本の日記系サイトの源流なのでは?

*2:書き手の内面をドロドロに告白する日記も、それはそれで面白いが、書き手の日常の出来事を箇条書きのように書かれた日記もなぜか面白い。

*3:「野菜にても香の物にても何にても一品あらば彼(*律のこと)の食事はをはるなり 肉や肴を買ふて自己の食料となさんなどとは夢にも思はざるが如し」